チキンライス島日記その1 / チキンライス島誕生
チキンライス島 7月7日(水)七夕
コロナ禍の都会を離れ、思い切って無人島に移り棲むことにした。たぬき開発の「無人島移住パッケージ」に申し込み、本日7月7日七夕の夜、無人島に移住した。場所は北半球のどこか。どこかが正しくどこなのかまでは実は僕自身も知らない。たぬき開発が用意してくれた水空両用プロペラ機に乗船し、名も知らぬどこにあるかも定かでない島に僕らは連れて来られた。
僕ら、とつい先走ったことを書いてしまったが、一緒に島に移住した人、人というか動物(ま、僕も動物だけど)は僕以外にも2人(2匹?)いた。それぞれ自己紹介までしてもらったのだが、申し訳ないけれどもまだ名前を覚えきれていない。そしてなぜかたぬき開発の社長のたぬきちさんと、社員のまめきちさん・つぶきちさんも一緒。さっきまで無人だった島は、瞬く間に6人の住人がいる島になった。
あ、いや、そういうことを言えば、無人島のはずなのに飛行場というかそれらしきプレハブ小屋が既にあったし、モーリーさん(ロバートソンではない、たぶん)という常駐員らしき動物がいたのも可笑しい。モーリーさんは通いなのか住み込みなのか。通いだとすればどこから、どうやって通っているのか。さすがに初対面ではあまり込み入った話も聞けなかったが。
とはいえ時間も時間だったせいか(すっかり日は暮れていた)、見渡す限り荒凉で無愛想なこの島の風貌は、今日からここで、家族も気心の知れた友人もいないこの土地で、はたして暮らしていけるのだろうかと不安な気持ちにさせるに十分だった。
少し島のぐるりを探検してみたが、走り回って余裕で一周できるくらいの案外手狭な印象。ただ小さな川があちらこちらにあって、どうやら橋も架かってないためその向こう側にはおいそれとは渡れそうになかった。なのでまだ島の全体像は把握しきれていない。時間はたっぷりあることだし、今夜はもう遅いので全ては明日から。
島に着いてすぐ、たぬき開発の社長たぬきちさんから島での生活の簡単なレクチャーを受ける。テントとラジオとベッドを支給してもらい、テントは島のどこに張ってもいいと言われたので、心細さもあって広場のそばに決めた。一緒に来た人たちのテントを張る場所の相談にものってほしいとたぬきちさん。そんなこと赤の他人の僕に頼まれても思ったけど、これからお世話になるかも知れない隣人なので、快く相談にのってあげた。
そのあとの歓迎のキャンプファイアーの最中、島の名前をどうするかという話題になった。たぬきちさんの提案でみんなが一斉に思いつく名前を声に出してみて、多数決で決めることにした。僕の案はチキンライス島。チキンライスが一番好きな食べ物だったから。オムライス島でもいいかなあと迷ったけど、そのときはなぜか卵でわざわざ包む必要もないかなあと思って。
結果、僕の案が満場一致で採決される。うれしい。でもなんか初めからそういうふうに仕組まれていたような気がしないでもなかった。その証拠に僕は島民代表に指名された。まあ特別拒む理由もなかったし、代表と言ったってたかだか6人が暮らす、ほぼほぼ無人の島の代表に過ぎないしね。
そんなわけで、僕はこのチキンライス島に移住した。東京にいるときはデビュー前のガールズグループ・NiziU(ニジュウ)に夢中になっていた僕が、いまは北半球のどこかにある無人島に移住(イジュウ)している。