『ムンク展』とカヤバ珈琲/上野の森~上野桜木町~西日暮里散歩
ノルウェーを代表する画家エドヴァルド・ムンク(1863-1944年)の回顧展に行ってきた。場所は上野の森にある東京都立美術館。ここ、館内がいつも暗すぎる感じがしてほんとうはあまり好きな美術館ではないんだけど、今回初来日の《叫び》をぜひ見たかったので贅沢も言ってられない。
平日の昼間とはいえ美術館内のチケット売り場は行列必至と聞き及び、チケットはあらかじめ公園入口にあるチケット売り場で購入(大人1600円)。ここ絶対穴場。あとは上野駅ナカのチケット売り場とかね。うまくすれば並ばずに買えるから。
この時季の上野の森はいつにもまして大きな美術展で賑わっていた。たとえば――、
――と、こんな具合に。そんななか、僕があえて選んだのが『ムンク展―共鳴する魂の叫び』だった。なにしろ油彩画や版画などを取り揃えて約100点ものムンク作品が一堂に会するというのだから驚きである。その大部分がノルウェーの首都オスロにある市立ムンク美術館が誇る世界最大のコレクションのなかから貸し出されているそうだ。ノルウェーはムンクの故郷なんですね。
前述したとおり、今回初来日の《叫び》もムンク美術館所蔵の油彩・テンペラ画。恥ずかしながら僕は、《叫び》に複数のバージョンがあるということすらこれまで知らなかった。でもそんなにたくさんのムンク作品を遙か極東の国に貸し出してはたして本家のムンク美術館の方は大丈夫なの? なんとそっちは現在改装中で2020年のリニューアルオープンを今や遅しと待ちわびている状態なのだそうだ。なるほどなるほど。
展覧会のメインはなんといっても《叫び》。ただでさえ照明が暗い都美術館のなかでもひときわ薄暗い一画に《叫び》は展示されてあった。なんでもそれが貸出に際してムンク美術館側から提示された条件だったという。
油彩画自体は僕が想像したイメージとそれほど変わらない印象だった。もう何度も複製画や写真などで見たことがある有名なあの絵。構図といい、色彩といい、タッチといい、キャンパスの大きさもイメージとさほど大差なかった。よく「本物は違う」と唸る人がいるけれど、正直僕には(センスないせいだとも思うが)「これが本物なんだなあ」という感慨以上のものはとくべつ感じなかったですね。悲しいことに。
それに、例の複数バージョンがあるという話。その詳しい解説がすぐそばに親切にバージョンごとの写真付きで貼り出されていて、そっちの方に見入ってしまったくらい。聞くところによるとムンクという人は、そもそも同じ絵を何枚も描くことで知られている画家だそうで、他人の肖像画などを頼まれて描いて、それが売れてしまってもいいようにもう一枚おなじ絵を描いていたりするような人だったらしいのだ。
そんな記述が展覧会のどこかの絵のキャプションにあった気がした。なんちゅうか、案外あざとい人だったのかもしれないなあと(スマン)。そういえば《叫び》の隣には同じ構図の《絶望》という作品が並べて展示されており、ほんと見てすぐわかるレベルでおなじ構図の絵でちょっと笑った。
それからこれはもう既にそうとう知れ渡った話だろけど、《叫び》の絵は一見すると橋の上の男が叫んでいるように見えるが、実は、男が自然の幻聴(自然から発せられる音)に耐えかねて耳を塞いでいる様子が描かれている、ということなんですよね。
わたしは2人の友人と道を歩いていた。太陽は沈みかけていて、突然、空が血の赤に変わった。わたしはふと憂鬱を感じて立ち止まった。青黒いフィヨルドや町並みが炎の舌と血に覆いかぶさるようで、ひどく体がだるい。友人は歩き続けたが、わたしはそこに立ち尽くしたまま不安に震え、自然の発する果てしない叫びを聴いた。
とかいっても、ふつう耳を塞ぐときって目も口もこう同時にぎゅーっと閉じないかなあと思うけど、そういう意味でもあれやっぱり不可思議な顔だし、僕はムンクが(世間が)なんと言おうと、男も自然の発する幻聴と一緒になって叫んでいた、ふつうにわーーーーーーーって叫びたくなるよねえ、と思うのだ。
それにほら、2人の友人は歩き続けたが、とも書いているとおり、男(ムンク)だけは俗にいうカメラ目線でなぜかわざわざこっち向いてるっていうのも解せない。真赤な空もフィヨルドの海岸線も緑の木々も人工物の橋以外はみんな共鳴するように波打っていて、それらと一体となってムンク自身の体も波打っていて、耳を塞いでいるというよりやはり自然の幻聴に共鳴して「叫んでいる」というふうに僕には見えた。
《叫び》のことばかり書いていてもアレなので、その他に印象に残ったというか好きな絵についても少し書いておく。《生命のダンス》とかね、よかった。ただこれもキャプション読むと、正面の3人の女の服装が白・赤・青と、それは無垢、官能、死を表しているそうで、そう言われるとやや理に落ちる感じがしないでもないが、まあなるほどなあと思ってしまう。
《星月夜》。ゴッホにも同名の作品がありそっちも僕は大好きなんだけど、ムンクの《星月夜》もたまらなくいい。両者を比べると構図も色彩もタッチもまるで違うのに、なぜか僕は似たような印象を受けた。題名に惑わされてるといわれればそのとおりかもしれないがどこか似ている。
ムンクは一時期パリに留学しておりゴッホ・ゴーギャンからも大きな影響を受けたという。ゴッホの《星月夜》をムンクが見たことがあるのかどうかわからないが、知らず知らず雰囲気は似たものをイメージしたとしても不思議ではないだろう。《星空の下で》も同じ印象だった。《庭のリンゴの樹》とかも。あ、ゴッホだ、と咄嗟に思った。それと《星月夜》は構図の手前にムンク自身だと言われる男の顔の影が横切っているところが素晴らしい。
ゴッホ影響ということでいえば、ゴッホが浮世絵から大きな影響を受けたのは有名な話だが、ムンクも版画をたくさん残していて、ひとつには同じ構図の絵を何枚も描いたということとどこかでつながりがあるのかもしれないけれど、同時にゴッホからの影響なのかムンクの版画にも浮世絵の影響が絶対あるなあと感じた。
あと、ムンクは5歳の時に最愛の母を、14歳の時に慕っていた姉を相次いで結核で亡くし、そういう幼少期に体験した大切な人の死が、ムンクの精神形成に大きく影響を与えたということだ。なのでムンクは病や死への不安や恐怖を、絵のなかに封じ込めるかのように作品を完成させていったのだそうである。
ムンクには自画像が笑っちゃうくらいいっぱいある。今回もたくさんの自画像が来ていたが、自分自身の死への不安や恐怖を描くにはその恐怖に怯えている自分自身を描くのがいちばん手っ取り早いというか、その恐怖から一刻でも逃れたい一心で何枚も何枚も自画像を描いていたのかもしれないですね。
美術展の感想というのはやはりそうとう難しい。
お土産コーナーでは、ポケモンとコラボした叫びピカチュウのぬいぐるみがいちばん目を惹いた。超可愛い。値段も1400円と手ごろで、よほど買おうか迷ったけど、ピカチュウの叫び具合がいまひとつ遠慮がちだったのでもうちょっとレア感があるといいのになあと躊躇って結局買わずに帰ってきた。ムンク展限定販売だったのですごく後悔している。
会期:2018年10月27日(土)~ 2019年1月20日(日)
休館日:月曜日 (ただし、11月26日、12月10日、24日、1月14日は開館)、12月25日(火)、1月15日(火)
年末年始休館:12月31日(月)、1月1日(火・祝)
開館時間:9:30~17:30 ※金曜日、11月1日(木)、11月3日(土)は午後8時まで(入室は閉室の30分前まで)
会場:東京都美術館 企画展示室
〒110-0007 東京都台東区上野公園8-36
公式サイト: https://munch2018.jp/
ムンク展の帰りは都美術館の裏通りを東京藝大の前を抜けて日暮里まで歩くことにした。夕暮れの雨の中の散歩としゃれこむ。
途中、上野の森と日暮里の谷中墓地とのちょうど中間地点くらい、上野桜木町の交差点にある「カヤバ珈琲」でひと休み。ここはまあいろいろと伝説の喫茶店、というか古民家をリノベイトしたカフェ。行列が出来ていることもあるというくらい有名な店だが、平日の午後遅く、しかもこんな雨の日だったからかすんなり中へ入れた。
それでも1階のテーブル席はあいにく満席で、2階の和室でよければどうぞという案内だった。和室! 靴下大丈夫だったかなあ、と思ったけど、え~いママよ。一度は来てみたかったカフェだったのでこの機会を逃すのももったいない。「お願いします」と即決。考えてみればうちでもふつうに和室でコーヒー飲んでるし。
ムンク展の帰りに立ち寄るにはお誂え向きというか、なんという偶然だろうか。ここのコーヒーは、あのノルウェーの首都オスロに本店を持つ「Fuglen Tokyo(フグレン トウキョウ)」のコーヒーなのだった。
はじめにメニューを見たときは、ルシアンというコーヒーとココアが1:1のブレンドというのに気を惹かれたが、コーヒーがフグレンのコーヒーだとわかった途端、一も二もなくコーヒーを注文する。フグレン東京については僕はかつてこんな記事も書いています。
コーヒーといっしょに名物だというたまごサンドを注文。 麻布十番「天のや」のたまごサンドみたいな味と食感だった(と思うけど自信ない)。中の卵焼きがアツアツでピリッと辛いのがふつうに美味しくて、フグレンの浅煎りコーヒーとよく合ったことだけは覚えている。
カヤバ珈琲を出るとさっきよりも夕闇がぐっと深く濃くなっていた。そんななか谷中墓地を通りぬけ日暮里駅へと向かう。さすがに途中の写真は怖くて撮れなかった。駅の灯りが見えたときはさすがに少しホッとした。
ムンク展で死を意識した絵をたくさん見た。ムンクと同じ故郷のノルウェーのコーヒーを飲んだ。雨のそぼ降る夕暮れの墓地の真っ只中を歩き抜けて家路を急いだ。なんだか出来過ぎたシナリオのような休日だったが、でもとっても楽しい一日でした。