されど低糖質な日日

~Ⅱ型糖尿病患者のありふれた日常~

高畑勲監督の遺作『かぐや姫の物語』を劇場公開の時に見た感想とか日記とか

宮﨑駿さんと共に長年スタジオジブリを支えてきた映画監督の高畑勲さんが4月5日永眠した。高畑さんの死去にともない、遺作となった『かぐや姫の物語』が5月18日「金曜ロードSHOW!」で放映される。同番組では4月13日に急きょ予定を変更して高畑さんの代表作『火垂るの墓』を放映したが、今回はそれに続くものだ。

『かぐや姫の物語』が劇場初公開されたのは2013年の11月23日。高畑さんの突然の訃報に接し、当時の僕のweb日記をパソコンのハードディスクのなかから掘り起こしてみると、公開からおよそ一週間後の日曜日、僕は下の子といっしょに劇場に馳せ参じている。

そのときの映画の感想を含めた日記をいま読み返すと、ずいぶん奥歯にものが挟まった物言いでところどころ何を書いているのかさっぱり要領を得ない部分さえあるのが可笑しい。おそらくネタバレを回避したいという苦心の跡で、まあそれはそれで僕個人にとっては貴重な記録だとは思うけどね。

今夜はじめて(あるいは何度めかに)『かぐや姫の物語』を見る方々と、映画の感想や当時の雰囲気を共有できたらいいなあという思いでここに再録します。

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2013/12/01

下の子と『かぐや姫の物語』を見に行く。話題作でもあり日曜日の映画の日はあらかじめ混雑を予想して、数日前から座席をネット予約していた。僕らが見た回は満席。小さな子どもが多かったし中高生も、僕のようないい歳のおっさんもたくさんいた。なにやら劇場全体が騒然とした雰囲気。わりといつも落ち着いた環境で映画を見ているので、たまにこういうワイワイガヤガヤした場所に迷い込んでしまうと戸惑いもあるが、それほどイヤな感じは受けない。映画は畏まって見るものでもないしね。

竹取のおじいさんが竹やぶで見つけた赤ん坊が、おじいさんとおばあさんに愛情深く育てられ、やがて美しいかぐや姫へと成長する、というおなじみの話だ。はじめ数分間の絵とナレーションを見聞きし、この調子で2時間強の上映時間は正直シンドイかなあと腰が引けたが、結果的にはそれは杞憂だった。見事なものだ。全体的に欠点が見当たらないというか、どこをどんなふうな切り取り方をしても一級品という仕事ぶりだと思った。

ふだんあまりアニメーションでは見かけないタッチの絵は、慣れてくるにしたがって、物語の時間が経過するにしたがって、これが古い古い昔話なのだということをたびたび思い出させてくれるし、この絵でなければならなかった必然性を感じる。僕の気のせいかもしれないが、姫の成長に併せてだんだんきれいに色づいてくるような印象もあった。それになによりアニメーションの躍動感がいたるところに満ち溢れていた。予告編にもある、着物を脱ぎ捨てながら都大路を駆け抜けていくかぐや姫の疾走感はそうとう強烈だった。

声優もさすが一流の俳優陣を揃えているだけのことはある。おじいさんおばあさんのしゃべりには特にうっとり聞き惚れてしまう熟練を感じた。姫に求婚する5人の貴族たちのひとりひとりの容貌に合った、いかにもピッタリな俳優の選び方も面白いと思った。音楽も、某所から使者がやってくるシーンで使われる曲が、僕がこの歳まで思い描いてきたイメージが180度ひっくり返されるくらいの衝撃だった。一度この曲を聴いたあとは、もうこのシーンにこれ以外の曲を想像できないほどです*1

物語そのものはいまさら有名な話ではあるが、あらためて見てその不思議さ、楽しさ、憧れ、滑稽さ、痛快さ、悲しみなどが過不足なく織り込まれ、決して飽きさせない。幼いころの姫の成長過程をことさら楽しげに時間をかけ丁寧に描いているので、後半の姫の苦しみが一層際立つ計算も行き届いている。そして忘れてはならないのが、映画のタイトルが『竹取物語』でも『かぐや姫』でもなく『かぐや姫の物語』という点だろう。

後半は特に、かぐや姫の苦しみ、あるいは怒りの感情に大きくスポットが当たっている。当時の高貴な女性の感情としてどうなのかという疑問はあるにしても、あえてその感情表現に拘ったというか挑戦したのではないかと僕は思うのだ。つまり「姫の犯した罪と罰」という作品のキャッチコピー(テーマ)と大きく関わってくるところだ。

このテーマについては劇中に一応の説明があり僕は概ね納得できる。ネタバレしない範囲で少しだけ難しい言い方をすれば、「生まれ変わり」とか、人間は前世の罪を背負って生まれてくるという「原罪」の考え方によっているのだと僕は思う。まあここらへんは映画の解釈の話になるので、既にこの映画を見た人とあけすけに話してみたい気持ちはあるが、でもここでは止しますね*2

多くの昔話は大人になってあらためて読むとその残酷さに驚くというけれど、かぐや姫の物語も例外ではない。姫の美貌と姫によってもたらされた富は、おじいさんおばあさんの暮らしぶりはもとより、周囲の大人たちの人生をことごとく一変させてしまう。なかには命を落とすものまで出てくる。はじめから下心を隠して近づいてきた者はまだいいとして、純粋に姫の成長としあわせを願ったおじいさんおばあさんが変わっていくさまは見ていてさすがにしのびなかった。

愛する人のしあわせを願うといういちばんシンプルなことが、その愛する人をこうまでも縛りつけ苦しめてしまうものなのかとは、この映画を見て強く考えたこと。おじいさんは特にそれが顕著で、映画ではずいぶんマイルドな描かれ方だったが、本来はもっと欲に目がくらんだという感じなのだろう。一見変わりないように見えるおばあさんも、結局はおじいさんの暴走を引き留められなかったということでは同罪で、だいいちおばあさんもまた姫をいつまでも自分の手元に置いて箱庭に住む人形のように育てたいという欲望から逃れられなかったのだから。

誰かのしあわせを願うことは、願われたものにとっての本当のしあわせなのか? そして誰かを大切に思ったり愛おしく思ったり、楽しいとか寂しいとか美しいとか、誰かに会いたいとか誰かの期待に応えたいという感情は、なんと苦しいのだろうか! そんなものと僕らはふだん何気なくつきあって生きているのだと思ったら、オレ案外すごいなあ、と自分をちょっとばかり見直したくなった。

と、ここまで長くなったけれど感想を書いてきてアレなんですが、でも、とふと思ったのが、そもそも僕は、かぐや姫の物語に本当にいまさら興味があったの? という問題だ。しかも彼女の「罪と罰」などに。それがさも重大な秘密というか謎のような煽られ方をして、よしんばそれがいにしえよりの文学的な最大の謎であったとしても、いまの僕はその謎を解明することにどれほどの興味あったのかなあ。監督やスタッフの熱意に当てられ、ジブリというブランドの熱に浮かされただけじゃないかと。

これって顔を見たこともない絶世の美女に求婚した都の貴族たちと同じじゃないかと思ったら、いちばん滑稽なのは僕自身かもしれないと笑っちゃったのでした。すみません、なんか最後の最期にちゃぶ台ひっくり返すようなこと書いちゃって。まあでもこれがいまの僕の偽らざる感想です。公開間もないことだし、極力ストーリーには触れず、それとあまり自分なりの解釈も前面に出さず書いたつもりです。結末についても言いたいことは山のようにあるので、いつかそのうち、もっと内容に踏み込んだ僕なりの作品解釈というのも書いてみたい。

 

2013/12/02

ゴミの集積所の掃除当番が先週終わったばかりなのに、掃除当番札を次の家に回すの忘れていた。今朝こっそり持って行って玄関前に置いてくる。ま、ここらは一週間の集荷が火曜日はじまりなのできょうでも別に大丈夫なんですが。

新聞屋さんが先月分の新聞代の集金に来る。「自転車ないから留守かなと思ったよ」などという。自転車は夕方いつもよりずっと奥の明かりが届かない(暗くて見えない)位置に止め置いたのだが。そんなこといつも見られたり考えられたりしているのかと思うとなんかちょっと怖くなった。もう何年も配達と集金してもらってる気さくなおじさんなんだけど、それでも。

下の子がね、後頭部が痛いとやいやい騒ぐから、「バファリン飲んだのか?」と訊くと「飲んだ」と答える。「いつから痛いんだ?」と訊くと「昨日からだ」と言う。もっと詳しく話を訊いたら、どうやら昨日『かぐや姫の物語』をいっしょに見ているときから痛くなったのだと。それも映画の後半の、ある幻想的なシーンを見たあとからだと言う。

それでなんとなく、ははーん、と閃いたのは僕も実はそのシーンにものすごくス ピリチュアリティ(霊的なもの)を感じていたからで、こんなこと言うとドン引きされるかもしれないけれど、まあストーリー上の霊的なものと、同時にそこに製作者の並々ならぬ情念みたいなものが注がれているのを強く感じたに他ならないからだった。

というような話を冗談半分にしていたら、その場にたまたまいた上の子が、「ネタバレはやめろよ」と不貞腐れたように言う。下の子がすぐさま「だけど兄ちゃん、まんまかぐや姫の話だよ。月からやってきて月へ帰って行く」と反論する。その反論に対して上の子が言わんとするのは、つまりこういうことだった。

原作に忠実だとか、みんながよく知ってる例の話とか、そういう言い方そのものが既にネタバレなんだよと。わかりやすく同じジブリの『風立ちぬ』がそうであったように、映画化というのは必ずしも原作をなぞったものばかりとは限らないし、原作にひらめきを得たものや新しい解釈こそが作品のキモとなる映画もある。事実、上の子は『かぐや姫の物語』を例の「竹取の翁」の話とは全然別のストーリーだと思って期待していたというからちょっと悪いことした。

あ、この日記読んでる人もそう思って楽しみにしていた人がいるかもしれないなあ。シマッタ。というふうに、ネタバレを避けたい人からすれば、原作通りというのも原作とはラストが違うというのも、どちらも等しくネタバレなのだ。どんでん返しがあります、というのももっての外。

商業雑誌やブログの評論や感想なら意識して見ないという防御策もあるが、目の前にいる人の話というのは唐突にはじまるし、急に耳を塞ぐことも難しい。まして家の中で家族がそんな話はじめたら、そりゃ困るだろうけどさ。反対にこっちにすると正直、家の中でもそれかよ、といささかうんざりするのも事実なんですね。

うちの場合はカミさんはまったく気にしない人なので、というか、ネタバレ云々なんてちゃんちゃら可笑しいと笑い飛ばすような人なので、それはそれで腹が立つが、上の子は特に神経質繊細だから、残りの家族はよほど気を遣う。はよ見に行けよ、と思うのだが。あれでなかなか重い腰を上げようとしないから厄介だ。こういうときだけは家族も案外面倒くさいなあと思う。

家族はいてくれてありがたいと思うことが圧倒的多いけれど、当然そればかりじゃなく鬱陶しいことも山のようにある。互いに異なる意志を持った人間が一つ屋根の下に暮らしているのだから、単純なことばかりじゃない。映画のネタバレ程度のことでやいのやいの言い合っているうちはまだしも平和だけど、もっと厄介なことはたくさんあるのだ。あ、これ誰かに訴えたいわけじゃなく自分で勝手にそう思って自分で納得してるだけだから気にしないでね。

しかし、いったいなんの話書いてるんだか。霊的なアレなんて全然関係なくなってるし。夜ごはん、鶏もも照り焼き、サラダ、刺身盛り合わせ(40%OFF)、舞茸ごはん、ワカメ豆腐油揚げの味噌汁。『冬のフロスト』(上)わけあって停滞中。 

 

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*1:当時、プロの声優が声を担当しなで俳優を当てたことや、ことに件のシーンで流れる音楽には僕の周囲にも否定的な意見が多かった

*2:つまり死生観の問題だと僕は思うのだ