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『ボクたちはみんな大人になれなかった』(燃え殻)を読んだ感想~キミは大丈夫だよ、十分大人だもん

燃え殻さんの『ボクたちはみんな大人になれなかった』を読む。秋の夜長でなくてもあっという間に読める。面白かった。主人公は専門学校を出てエクレア工場のアルバイトからテレビ業界の裏方へと転身した43歳のボクだ。ある日地下鉄の車内で昔つきあっていた彼女と偶然SNSでつながってしまった。その日からボクの思考と記憶は現在と過去(90年代~2000年代はじめ)を縦横無尽に行きつ戻りつすることになる。とまあ要約するとそんな話です。SFじゃないよ。というか立派なラブストーリーである。というか青春小説かなあ。というか燃え殻さんの自伝みたいなものなのだろう。というかそもそもそういうカテゴライズ自体どうでもいいですよね。まずはじめに僕がそしてなによりいちばん言いたいのがタイトルがちょっとズルいなあということだ。43歳のボクは世間的に見れば十分大人だと思う。年齢的なことだけを言ってるわけではない。精神的にも社会的にも立派な立派かどうかはともかく十分大人。本当に大人になれなかった人間は自から「大人になれなかった」とは決して言わない。逆説的にいえば自分を大人だと勘違いしているのが本来の大人になれなかった人間なのだ。つまりアレですよ。この場合の「大人になれなかった」は「少年の心を持った大人」的なアレなんでしょう。もちろん本人も自覚の上であえて「大人になれなかった」というキラーワードを使っているのは明白。だからズルい。このキラーワードは女性のハートを鷲掴みにするらしい。ついでに主人公ボクは成功したのにどこか喪失感を漂わせているという。大勢の成功者たちのなかに囲まれてたったひとりこの世に絶望している目をしているとかね。へへへ。おーおーやってるなあと。モテようとしているのがみえみえだもの。読んでもう真っ先に感じたのがそういうとこでしたね。ズルいでしょ。でそういうズルさはやはり大人のもの。もっとも見方によっては43歳にもなってまだモテようとあれこれ画策してるところが大人になれてない証じゃないかと言えなくもないが。タイトルでもひとつ注目したいのが「ボクたち」と主語を複数形にしているとこだ。主人公は「ボク」なのに。小説のなかにはボク以外にもエクレア工場の同僚・七瀬やテレビ業界での会社の同僚・関口など複数の登場人物が出てくる。確かにみんな同じ青春時代を共有する仲間だがそれとは別の意図であえて複数形を選択していると僕は睨んでいる。主人公はもちろん「ボク」だがある意味誰にとってもこれは自分の物語なのだ。というのもひとたびこの小説を読んだ誰もが小説の内容はさておき燃え殻さんに倣って思わず自分語りをしたくなる稀有な小説だからです。つまり主人公はボクや僕やあなたや君も含めたまさに「ボクたち」なのである。燃え殻さんと同年代で同じ青春時代を東京で過ごした人たちはもちろんのこと。幅広い年代・性別・職業を問わず多くの人が自分が過ごしてきた青春時代のアイコンをひとつでも懐かしみ当時付き合っていた彼女(彼氏)を思い出しついつい感傷的になってなってしまうだろう。燃え殻さんの巧みな文章力であたかも自分の人生の一部分にスポットが当てられたような錯覚をしてしまうことだろう。期せずしてそういう起爆装置というか役割を果たすことに成功している。そういう共感性の高さが半端じゃないところがとってもズルい。あとこれ本の帯がそうとうズルいなあ。業界の名だたる人たちがこぞって絶賛コメントって。業界のなれ合いを感じて少し厭味っぽいと思った。「アカデミー賞最有力」とか「全米が泣いた」みたいでさすがに眉唾。僕みたいに50歳過ぎても大人になれない人間はだからそう簡単には騙されないぞと警戒心が先立つが結局は錚々たる顔ぶれに見事騙されてしまった。ズルい。どんどんいこう。タイトルの「大人になれなかった」というキラーワードを臆面もなく使う気恥ずかしさとはべつに本文にも思わず赤面してしまうくらい気恥ずかしいフレーズがそこかしこに散りばめられている。 

美味しいもの、美しいもの、面白いものに出会った時、これを知ったら絶対喜ぶなという人が近くにいることを、ボクは幸せと呼びたい。(本文引用)

なあんてね。こんな気恥ずかしいフレーズ照れずに堂々と書いたあとはさぞかし爽快だったろうなあと思う。やっぱりズルい。あとズルさということでいえばずばりエクレア工場に尽きる。「スーパーマーケットの店頭に並ぶ80円のエクレアを、20個ずつひたすら箱に詰めていくという仕事(本文引用)」そのエクレアがベルトコンベアにのって一定のリズムで途切れることなく流れてくる。もうそれをイメージするだけで鬱々と過ごした青春時代の心象風景が容易く映像化できるようだ。このアルバイトを見つけたことで小説の成功はなかば確約されたようなものだった。エクレア工場ほどの最適なアイテムはいまとなっては逆に思いつかないくらいズルい。それから最後に触れておきたいのがどうしてボクは彼女にこっぴどくふられたのかいまいちわかりづらいというかそのことをぼんやりとしか書いていない点だ。彼女はインド旅行できっと人生の価値観が180度ひっくり返るようなパラダイムシフトを体験してきたに相違ない。なのにボクは相棒の関口とで請求書の金額を値切ってきた番組プロデューサーの事務所の玄関ドアのガラスを木製バットで叩き割った話を必死にしている。相も変わらぬ進歩がないボクに彼女は決定的に愛想がつきたということでしょうね。でボクにもそのことはおぼろげながらわかっているはずなのにわざと詳細は語らない。けっしてきれいごとだけを書いているわけでもないのだが彼女との別れ話が膨張して突出しかねないから全体のバランスの方をとった。ズルい。というかつまりはそういうふうに取捨選択をしたということだ。燃え殻さんにはそのての(ドロドロした)恋愛小説を書く気はそもそも最初からなかったのだと思う。「キミは大丈夫だよ、おもしろいもん」という彼女の言葉に倣えば「キミは大丈夫だよ、十分大人だもん」と僕はボク(燃え殻さん)に言ってあげたい。というか激しく言いたい。大丈夫だよ、ボクたちはみんな大人になったんだよ。以上たまらなく自分語りをしたくなる感情をあえて抑えて感想を書いてみました。 

ボクたちはみんな大人になれなかった

ボクたちはみんな大人になれなかった

 

 

ボクたちはみんな大人になれなかった

ボクたちはみんな大人になれなかった

 

今週のお題「読書の秋」