ヒロシコ

 されど低糖質な日日

東京に上京したのだ

やらないでする後悔よりやってする後悔のほうが……

やらないでする後悔よりやってする後悔のほうがマシ、とはよくいいますね。でもこれほんとうにそうかなあ、とちょっと疑問に思うこともあって、ふつうに考えれば、「やっぱりやめときゃよかったなあ」という後悔だっていっぱいありそう。そもそも、どっちの後悔のほうがマシかと考えることじたい、人の苦しみをより複雑にしているのではないかとぼくは思うのだ。

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どっちを選択してどういう結果になったとしても、先々「よかった」と思えるのがいちばんいいわけで、だけどどうせ後悔するかもしれないのなら「やってもやらなくてもおなじ」だとシンプルに考えれば、楽というか少なくとも「いま、やりたいのかやりたくないのか」という純粋な悩みに没頭できるし、その気持ちを尊重できる。

「やらないでする後悔より云々」と朗々と謳いあげれば、いっけん潔くて勇気があって、ある意味かっこいい決断のように感じられるけれども、先々するであろう後悔のことをいまから念頭に置いて行動するのは、それもどこか計算高いというかズルイ(というのはいいすぎですね)気もするのだ。

未来にするかもしれない後悔の心配までするより、いまどうしてもやりたい、やろうと思うのならやればいい。一方で、あぶないなあ無理だなあと思ってやめる、という選択肢も絶対悪いものだとは限らないよ、ということを僕はいいたいだけです。そんなの逃げるための方便だ、といわれたらそうかもしれないけど、自分にいいわけくらいしたっていいじゃん。

まあいずれにしても悩んで導き出した結論は、いくら消極的なものでも僕は否定せず尊重したほうがいいと思うんですね。「私たちの人生は、ほかならぬその人生から発せられる問いに一つ一つ応答していくことであり、幸福というのは、それに答え終わったときの結果にすぎない」と姜尚中さんもいってることだし(姜尚中『続・悩む力』集英社新書)。

それに、いくら先々の後悔のことをいまあれこれ悩んでも、しょせん後悔は先に立たないものだからね。後悔って、あとで悔やむから後悔。そもそも先に立つなんてことはありえない。ついでにいえば「後悔先に立たず」も、しつこく念押しされるみたいで実にもにょもにょする言葉だよね。「東京に上京する」とか「頭痛が痛い」とおなじくらい、まどろっこしいというかいわずもがな、な感じ。

しかも時制がややこしくって混乱する。この場合の "先" とはいったいいつのことだよって。後悔したときから見た「先」、つまり「いまでしょ!」の「いま」のことなんだけど、だったらいま後悔しておくことはできないまでも、その真似ごと(イメージトレーニング)をしておくことはできるかも。あれこれ想定して、こうすればそうなって、結果「ああシマッタ、後悔しちゃったなあ」とか。そういうのつまりあとあとになって「想定の範囲内」というやつですよね。

だけどそれじゃあ、なにが起きてもあくまで「想定の範囲内」になっちゃって、それほどショックも大きくない。やっぱりそれはほんとうの意味での後悔とはいえないんだな。しょせん後悔ごっこ。う~ん、後悔を先に立たせるのはむずかしい。立つのか、後悔?

いや、そもそも立つってなんだ? と思い辞書を引くと、例文がいっぱいうじゃうじゃ出てくる。「電柱が立つ」「ぼこりが立つ」「苦境に立つ」「予定が立つ」「役に立つ」「義理が立つ」「腹が立つ」。たんに寝て起きて座って立つ、の「立つ」というだけの使いかたじゃないよ。ほら「風立ちぬ」という文芸的香り高い用法もあるし。

……なので、後悔くらい簡単に立っちゃうわな。義理とか腹とか、めったやたら立ちそうにないものまでちょちょいと立っちゃうんだもの。要するにその程度のことだと、後悔も。電柱といっしょ。

ためしに、僕が「東京に上京して」よかったなあと思ってるか後悔してるかといえば、もちろんよかったなあと思ってるわけだけど、それはけっして僕が成功したからというわけでもないし、そもそも上京しなければもっと成功したかもしれないし、だいいいち人生において成功ってなんだ? というとんでもなく大きな問題にもかかわることだから、おいそれと判断できない。

で、上京する前に、上京した場合としなかった場合のどっちが後悔するかぼくも人並みに悩んだりもして、当時その問題についてはあやふやのままえいやっと上京してしまったけれど、いま後悔の比較についてどうかといえば、ともかく上京しちゃてるので、しなかった場合についてはもはや比較のしようがないとしか答えられない。

まあそうなると結局なにがなんだかよくわからないという結論になる。すいません、いつものクセで頭の中よく整理しないまま書きはじめると、だいたいこんなふうにぐだぐだ収拾つかなくって。

 

この街のルールに僕は慣れることができただろうか

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福山雅治さんの『東京にもあったんだ』という歌を聴くと、恥ずかしい話いまでも僕は泣いてしまう。もう30年以上も前、真夜中の急行列車に乗って僕は田舎を発ったのだった。あのときのことをいつでも思い出す。

改札口まで見送りにきてくれた母親は、別れる間際まで「なにもこんな夜逃げするように出ていかなくても」とせつなそうな顔をしていった。駅まで車を出してくれた父親とは、ホームに列車が入ってくるのが見える駐車場で別れた。

まだ僕は若くて、自分以上の何者かになりたかった。

東京では中央線の中野駅まで、大学のひとつ上の先輩が迎えにきてくれた。アニメーター助手をしているというその先輩のアパートに2~3日居候させてもらいながら、これから東京で住むことになるアパートをじっくり探すつもりだった。中野駅から歩いて連れてこられた西武新宿線の新井薬師前駅。

わかる人にはわかってもらえるだろうと思うけど、この距離感はまた実に微妙で、田舎モノの僕には私鉄の西武新宿線の乗り方などわからないだろうと、とりあえず東京駅からまっすく乗り換えて来られる中央線の中野駅を、待ち合わせ場所に選んでくれたのだろう。

先輩のアパートの部屋は、誇張なしにちっちゃなこたつがほぼ部屋の全体を占めていた。「布団ないから寝るのはこのこたつでいいよね」といわれても、すわったらすぐ背中は壁だし、先輩の足がこたつに入ったらぼくの足はどこへ伸ばせばいいのだろうという窮屈さだった。

夕方遅く、「ちょっとそのあたりの不動産屋さんまわってきます」とウソをついて僕はひとり部屋を出た。昼間歩いて連れてこられた道を、迷い迷いしながら中野駅まで戻り、ブロードウェイ商店街の脇を入ったおんぼろビジネスホテル(たぶん連れ込みホテル)にこっそり一泊だけの部屋をとった。先輩には「急に親戚の家に泊まることになっちゃって」ともうひとつウソを重ねた。

あくる日、アパート情報雑誌で偶然見つけた東京の外れの小岩という町の(すぐ隣は千葉県)、ばっかみたいに安い物件をたずねて小岩駅前の不動産屋さんへ飛び込んだ。その日のうちに契約して、その夜からそこで住むことにした。

風呂はなかったが、それにしてもあまりの安さに、案内してくれた不動産屋のおねえさんに「ここ(幽霊とか)出るんですか?」と訊いたくらいだ。テレビやラジオはおろか布団さえもなく、着ていた春夏物の薄いジャケットをぎゅうっと体に巻きつけるようにして、ひと晩を過ごした。3月もそろそろ終わろうかというころで、まだまだ寒い夜だった。

ともかく東京という街で、ただの旅行者ではない僕の新しい暮らしがはじまるのだというあの夜の気持ちの高ぶりは、いまでもけっして忘れることはない。内心では、この街のルールに僕は慣れることができるだろうか、という心細さと不安で胸が押しつぶされそうだった。

あれから、気がついたら生まれ育った田舎町より東京での暮らしの方が長くなった。こっちで大切な家族もできた。ただし自分以上の何者かには、いまだなれずじまいだ。もちろん後悔など断じてしていない。  

東京にもあったんだ / 無敵のキミ(初回限定盤)(DVD付)

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続・悩む力 (集英社新書)

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