なぜバランスの良い食事が推奨されるのか
いまの糖尿病を診てもらってる大学病院の先生は、僕の糖質制限食に理解がある先生だからいいけれど、そうじゃない先生の場合は、一笑に付される感じか、せいぜい「バランスの良い食事を心がけなさい」と言われるかのどちらかだ。
ちょっとした風邪やその他の病気や怪我の場合で、近所の個人クリニックに出向くとよくそういうやりとりになる。なぜバランスの良い食事が推奨されるのか、どの先生も納得いく解答は与えてくれない。
それはバランスがいいからなのだろう。そんなこといまさらあらたまって説明するまでもないことなのだ。すなわちそれこそがバランスだからに他ならない。
レーダーチャートを丸くするバランス
人間の栄養管理には、栄養価のバランスをチャートにしたレーダーチャートがあるに違いない。いわゆる三大栄養素である炭水化物(糖質)と脂質とたんぱく質。あるいはそこにビタミンとミネラルを加えた五大栄養素。それらをほどよくバランスよく摂取すれば、どこか一方向だけがいびつに偏ったチャートではなく、ほぼ丸い円状になるのかもしれない。
あるいは一回の食事で、できるだけたくさんの品目を食べる。30品目の食品を摂りましょうというやつだ。一回の食事で摂れなかった品目は、一日の食事でカバーする。一日の食事で摂れなかった品目は、一週間のトータルな食事でカバーする。そうやって全体のバランスをとる。
昔からよく言われる、腹八分目というのもバランスのひとつかもしれない。かつては三角食べなんて言葉もあった。
主食(ごはん、パン)、主菜(肉、魚、卵)、副菜(野菜、海藻、豆類、果物)、汁物と、まんべんなく食べることがバランスの良い食事なのだろう。一汁三菜というのもバランスを表した言葉だ。
- 栄養価のレーダーチャートを丸くする
- たくさんの品目を食べる
- 一汁三菜
民間療法にはエビデンスがない
だけどね、糖尿病の食事療法として糖質制限食を日日の食生活に採り入れてから4年、たとえ血糖値をはじめとした数値を自分なりにコントロールしてきたとしても、その結果をまるで無視して十年一日のごとく「バランスの良い食事を……」と言われてしまうと、なんだかひどくがっかりしてしまうのだ。というよりはっきり言って苦痛。
「そういう流行の食生活もいいけどね」とか「民間療法はエビデンスがないから長い目で見ると非常に危険だよ」とお医者さんに言われてしまうと、患者の僕にそれを跳ね返すことがどれほど困難か。
相手がお医者さんならまだしょうがない(お医者さんだから厄介というもあるが)。たまたま一緒に食事をすることになった相手に、ごはんやパンを遠慮したり残したりする理由を説明をすることになる。「糖質制限をしていて」と伝えたときの相手の反応を窺うのももはやちょっとした苦痛ですね。
すぐピンときてくれる相手(たとえダイエットと誤解しても)なら話は早いが、そうでなければ糖質制限についてどこから説明したらいいのかいつも迷ってしまうのだ。あげく、「バランスの良い食事の方がいいんじゃない?」なんて言われることもしょっちゅなのです。
自分の体にあった食事スタイルを
そんなときでも僕は、バランスがそんなに大事ですか? と言い返したくなるのをぐっとこらえて、「まあそうなんですけどね」なんてヘラヘラ苦笑いしてごまかすしかない。その方が楽だ。それも生きる処世術、つまりはバランスなのか。
僕らは年齢も性別も育った環境もいまの生活環境も健康状態も、みんなひとりひとり違うはずなんだよね。アレルギーのある人もない人も、好き嫌いのある人もない人も、いま体が求めているものもぜんぶ異なるはずだ。
なのに全員揃ってバランスをとること、バランスの良い食事を摂ることにいったいどんな意味があるのでしょね。逆に、僕は誰にも自分がやってる糖質制限食を強要しないし(しつこく紹介はしますが)、おなじ糖質制限でも厳しいのからゆるやかな糖質制限まで、その人の体にあったやり方があっていいと思うんだよ。
その人にあった趣味嗜好や生活スタイルや生活サイクルがあるように、自分の体を維持していくための食事においても、バランスは絶対条件ではなく、むしろ個人個人に合った食事スタイルというのがあってもいいと思うのですが。
▲ゆうべの僕の食事。油揚げの巾着甘煮、豚バラと野菜の煮物、ワカメのみそ汁。意外と質素ですよね。そしていかにもバランスが悪そう。でも僕の体にとっては、いまこれが求められている食事。油揚げの巾着甘煮は煮は旨いよ。煮ずに焼けば餃子。
こんな僕のブログでも、もしかしたら誰か困っている人、迷っている人のちょっとしたアドバイスやヒントになればいいなあと思います。