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『罪の声』(塩田武士)を読んだネタバレ感想~グリコ・森永事件の犯人たちの家族や遺族は実際いまどうしているのだろうかと思わずにいられない

「どくいり きけん たべたら しぬで かい人21面相」かつてこんな文面が連日テレビのニュース番組や新聞紙面に踊ったことがあった。「グリコ・森永事件」。大手食品会社を脅迫しては多額の金銭を奪い取ろうとした昭和史を揺るがす大事件だ。グリコの社長を誘拐して身代金を要求したことにはじまりスーパーに青酸入り菓子をばら撒くなどして日本中の消費者を震え上がらせた。僕個人としてはこれ以後の一時期菓子がパッケージごとビニール密封されるようになったことで記憶に鮮明である。一方で「かいじん21面相」を名乗る犯人グループは警察やマスコミに対して冒頭で紹介したような挑戦状を送りつけた。このお上をあざ笑うかのような奇抜さで社会に不満を抱えた国民の潜在意識にある種の快哉をあげさせたのも事実であった。結局事件は膨大な数の捜査員を配備したにもかかわらず未解決のまま時効を迎える。そんな「グリコ・森永事件」を題材に一級のミステリーに仕立て上げたのが小説『罪の声』だ。本書はルポルタージュでもノンフィクションでもない。ただしこれまでどんなジャンルであろうともこの手の書物が出るたびさまざまな犯人像・陰謀説が取り沙汰されてきた。例えばグリコ(を思わせる企業)の関係者もしくはグリコ(を思わせる企業)に恨みを抱く者の犯行。青酸など日常的に毒物を手に入れやすい職業の従事者。無線や車両関係に詳しいスペシャリスト。現役ないし退役警察官や裏社会の構成員。株価操作で利益を得るため仕手筋に精通している人物。もっぱら事件が大掛かりだったこともあり複数犯の可能性が疑われた。となれば犯罪全体の青写真を描く者や寄せ集め集団を統率する強力なリーダーがいてもおかしくないだろう。まるで映画『七人の侍』や『オーシャンズ11』の世界である。背後にはいわゆる黒幕といわれる大物や巨大組織の存在が指摘されもした。彼らの真の目的は身代金程度のちっぽけなものではない。「グリコ・森永事件」そのものがより大きな目的を達成するためのひとつの手段に過ぎなかったという噂までまことしやかに囁かれた。あるいは巨大組織同士の熾烈な抗争の一環だったとも。僕自身はそういう陰謀説がけっして嫌いではない。いずれの犯人像も陰謀説もああなるほどなあと合点がゆく感じがして(推理としては)とても面白かった。なのでなおさら今度はいったいどんな陰謀説なんだろう犯人や黒幕は誰(どんな組織)なんだろうとこれまでなかったようなあらたな展開が期待された。さしずめ本書を手にするにあたっての僕の興味はそういうことにほぼ尽きるといってよかった。

罪の声

罪の声

 

断っておくが『罪の声』が僕の期待に全然そぐわなかったなどというつもりは毛頭ない。本書も他の類似する書物と同じように綿密な取材のもと特定の犯人像に果敢にアプローチしている。ただそのアプローチの方法が他とは一線を画していてユニークだった。プロローグは長いアイロン台の上で仕立てのよいスーツに黙々とアイロンをかけるひとりの男の描写ではじまる。あらたな陰謀説としてはいかにもこじんまりとした地味な幕開けを思わせますよね。男は京都でテーラーを営む曽根俊也。本書の主人公のひとりである。曽根俊也の自宅に保管されていた父の遺品の中から偶然古いカセットテープと一冊のノートが見つかった。あの事件(“あの”というか“この”小説では製菓メーカーの「ギンガ」と「萬堂」の文字からとって通称「ギン萬事件」といわれる)に使われたテープとそれを裏付けるようなメモが記されたノートだった。“あの”事件も"この"事件も企業を強請るテープの音声はまだ年端もいかない複数の子どもの声だった。それだけにいっそう衝撃的でもあった。曽根達也はテープに吹き込まれた声がまぎれもなく自分の声だと気づく。となれば自分の父親が犯人なのか。あるいはその一味だったのだろうか。彼は独自に事件について調べはじめる。そっちが小説のいうなれば横糸である。でもうひとつ小説を構成する縦糸というか推進力となるパートが同時並行していく。新聞社が特集する未解決事件の取材を任された文化部記者の阿久津のパートがそれだ。社内ではどちらかといえばうだつがあがらなかった阿久津。この抜擢を機に事件の真相を暴くため日本中のみならず海外へも奔走することになる。過去の事件を自分の家族の問題として捉える曽根とあくまでも仕事上の取材対象として事件を追う阿久津。それぞれ独自のネットワークを駆使して知り合いや関係者のあいだを地道にひとつひとつ訪ね歩く気が遠くなりそうな日日。実に読み応えがあったなあ。ことに著者自ら新聞記者の経歴もあるということで記者の取材のリアリティが真に迫っていた。対象に対して押したり引いたりの駆け引き。それも回を追うごとにだんだんコツをつかんでいく。はじめは小さな点が少しずつ繋がり次第に細い一本の糸となる。曽根と阿久津両者の縦糸と横糸が交互に織りなすことによってやがて一枚の仕立てのよい織物が完成していく。とりもなおさずそれは事件の裏側に犯人グーループの家族や遺族の存在が詳らかになる過程でもあった。当然といえば当然なのになぜか盲点だった気がしてハッとさせられた。結局阿久津の側が曽根の側に取材内容で次第に寄り添っていくかたちで物語は収斂する。「音声テープに使われた子どもたちのその後の人生」という点に最優先で焦点が当たるわけだ。恐喝に使われた音声テープの子どもたちが曽根の他にもいた。小説のなかのこととはいえそっちは容易に受け入れられないほど過酷な物語だった。同じ「罪の声」の主として曽根と他の子どもとではこうまでも違う境遇を生きてこなければならなかったのかと運命を嘆きたくなるような。そうしてギン・萬事件(グリコ・森永事件)の犯人は誰かという推理とはいささか距離を置いた結末には涙を禁じえなかったですね。事件に巻き込まれてしまった家族や遺族が味わってきた苦渋や絶望が残酷なまでにていねいに描かれていると思った。“あの”事件の犯人たちの家族や遺族は実際いまどうしているのだろうか。そう思わずにいられない。犯人像や犯行の手口・収束の仕方にしても本当の「グリコ・森永事件」も案外こういうふうだったのかなあと想像させられるに十分だった。最初から最後までかたときも飽きることなく夢中になって読んだ。めっぽう面白かったです。 

罪の声

罪の声