ヒロシコ

 されど低糖質な日日

小説『君の膵臓をたべたい』(住野よる)結末まで完全ネタバレ感想

住野よるさんの『君の膵臓をたべたい』(kindle版)を読んだ。最初に言い訳みたいな話を書きます。

実はこれスマホのkindleアプリから1-Clickで買ったらしいのだ。らしいというのは僕にはそもそもこの本を買うつもりも買った記憶もまるでなかったから。なのに勝手にダウンロードされていた。支払いも勝手にギフト券で済まされていた。およそ霊的な力が働いたのでなければ勝手にということなどありえない。とすればおそらくスマホの誤作動の公算が大きいだろう。誤作動というかね。う~ん。

つまりまあズボンのポケットに無造作に突っ込んでいたスマホがいつのまにかkindleストアにアクセスしていて、そこにたまたまおすすめ表示されていた当該タイトルを僕の見えざる指がこれまたたまたまなにかのはずみで1-Clickしちゃったとか。いやもう絶対そうとしか考えられない。ぐぬぬぬぬ……と歯噛みして地団太踏んでも後の祭りだ。

これからはせいぜい気をつけるとして、でもせっかく買った本なのでもったいないから読んでみることにした。せめて元くらいは取りたいというあさましさ半分それでも期待半分。正直最初はちょっと面食らったよね。実際こういうファンタジー系の小説を僕はめったに読まないもの。

なんだかとても場違いなところへ迷い込んだ感じがした。たとえば作中のフレーズを借りるなら若い女性ばかりの《ファンシーでメロウなスイーツビュッフェ》の店とかへ。タイトルもタイトルだし。それ以前に「大人気」とか「泣けるラブストーリー」とかいう世間の評判は見聞きしてたからなあ。ふふふふふ。

そんなわけで以下キミスイの完全ネタバレ感想です。キミスイというのは『君の膵臓をたべたい』を略してキミスイ(というらしい)。ちなみにセカチュウは『世界の中心で、愛をさけぶ』の略でセカチュウ。セカチュウはピカチュウみたいで可愛いからいいけどキミスイは肝吸いみたいで、どっちにしろ猟奇的な感じは否めないから僕はあまり好きではない。

君の膵臓をたべたい (双葉文庫)

君の膵臓をたべたい (双葉文庫)

 

とりあえずあらすじを書いておきます。

友だちがいない主人公の「僕」は、膵臓の病気で余命いくばくもないクラスメイト山内桜良(やまうちさくら)の闘病日記ならぬ共病日記のはじめの一頁を偶然読んでしまう。それを彼女に見つかり「僕」は彼女の死ぬまでにやりたいことに強引につきあわされる破目になるのだ。

たとえば同じ図書委員として放課後の居残りをしたり、焼肉の食べ放題やスイーツビュッフェに行ったり目的もなくショップを冷やかしたり。渋々メールのやり取りなんかも。ふたりきりで一泊旅行に出かけたりもした。

「僕」と桜良の距離は急速に縮まり関係は深まってゆく。ついには互いが互いを必要とし、互いが互いに出会うため今日まで生きてきたんだと認め合うような仲になるのだった。なのに運命は意地悪というか公平というか。余命いくばくもなかった桜良は、膵臓の病気ではなく通り魔に襲われ急死する。彼女の死後遺された共病日記を読んだ「僕は」――。

大人気という評判もなるほどなあと思いました。面白かったです。そしていいとか悪いとかではなく、これはまごうかたなき中二病男子の妄想炸裂小説だなあというのを真っ先に感じました。僕は全然嫌いじゃない。嫌いじゃないというか、あーわかるわーと。やってるなあと。身に覚えがありすぎて逆に照れ臭くなった。

友だちがいないということは当然彼女もいない。友だちはともかく彼女なんていらないと本気で思ってる中二病男子はいないわけで。だけどあれこれ気を揉んだりどう対処していいかわからなくて面倒だとか不安だというのはあるんだよね。その前にそんなチャンスに遭遇することなど自分の人生で起こりうるはずがないと最初から諦めている。

それが向こうから(つまり彼女の方から)一方的にお近づきになってくれるのだ。四の五の言う隙も与えられぬうち強引に連れ回されることになるのだ。こんなありがたい夢のような話がよもや転がっていようとは思わないだろう。妄想の妄想たる所以である。

それも相手はクラスで一二(三番目?)を争う可愛い女の子。期せずして彼女の秘密を知る家族以外ではただ一人の他人という恵まれた特異な立場に置かれた「僕」。そればかりか彼女は実は以前から自分のことを密かに気にかけてくれていたことがわかる。ひょっとしたら彼女は自分に対して単なる好意以上の気持ちを抱いてくれているのかもしれない。

それを確信するにたる出来事は彼女の家に呼び出された帰り道のどしゃ降りの雨の中で起こった。「僕」の不用意な行動から彼女を傷つけてしまった後だった。そんな「僕」にかつて彼女にフラれた学級委員長の元カレが待ち伏せして襲いかかってきたのだ。突然殴られ怪我をする「僕」。その現場をなぜが「僕」を追いかけてきた彼女が目撃してしまう。

ああかっこ悪いなあ。結局こうなっちゃうんだよなあ。話がうま過ぎると思ったんだよなあと(注:このあたりの心の声は「僕」ではなくあくまでも僕の主観です)。ああだけど彼女が真っ先に駆け寄って傘を差してくれたのは他ならぬ「僕」だった。

「君にしつこくつきまとってるみたいだからやっつけてやったよ」と弁解する元カレの声が聞こえる。「最低」と吐き捨てる彼女の声が聞こえる。臍を噛んでその場を立ち去る元カレ。その後ふたりはあらためてお互いの気持ちを確信するに至るのだ。

いや何度も言うようだけどこれ全部妄想だからね。妄想ってどこまでも自分にとって都合よく出来るから。だけど結果的に彼女を失う悲劇のヒーローという役どころはいいとして、でも膵臓の病気って実際どうなの? という危惧もあろうかと。

心配ご無用。妄想だから予後のディテールも全体の整合性だってそれほどこだわらなくてもいいのだ。具体的な闘病のアレコレなんてよくわからないことはすっ飛ばしてオーケー。いっそ通り魔に襲われて急死ってことにしちゃうのもありだ。乱暴な話だけどその方がより悲劇的な感じだしね。いやべつに貶してるわけじゃないよ。

一泊旅行する場所にしたってそうだよ。作者は実際特定の地名を思い浮かべているのに、そうすると細かい部分のつじつま合わせが面倒だったのかあえて地名を伏せた。それ以前にそもそも物語の主戦場となる地名も伏せたまま。その割にユニクロや梅が枝餅なんていう固有名詞はピンポイントで出てくる。このへんのアンバランスさも妄想ならではのことだ。

なんでもこの小説はインターネットの投稿サイトに投稿されたものらしい。それに目を留めた編集者が出版を引き受けたそうだ。だとすれば出版に至るまでの間に編集者のチェックが入って当然。それでもそういうアンバランスや不整合さが残っているのはそれはもうそういう戦略なのだとしか考えられないだろう。

中二病男子の妄想をそのままストレートに小説にしようと。いやだからこれ貶してるわけじゃなくて大真面目に僕は思ってます。ウルトラマンの塩ビ人形や自殺用ロープや『星の王子様』等々の小道具や伏線に至ってはきっちり回収されたものもあれば未回収におわるものもあった。

なにしろ余命さえまっとう出来ず通り魔に襲われ急死なんだから仕方ないといわんばかりに。作者自身も小説のなかであらかじめ読者の批判を見越したのか先回りしてこんなふうに弁明している。

最後まで読みたかった。読むつもりだったのに。残り数ページを白紙にしたまま終わってしまった彼女の物語。前振りも、伏線も、ミスリードもほったらかしで。もう何も知ることはできない。彼女が仕掛けたロープのいたずらの行く末も。

後出しジャンケンみたいだけど、余命を待たず通り魔に襲われ彼女が死んじゃうことは僕なんとなく途中でわかった。正確に言えば通り魔ではなく元カレに襲われ死んじゃうのかなあと思ってたけどね。

第三者が自分の名前を呼ぶたびに【根暗そうなクラスメイト】くん【秘密を知ってるクラスメイト】くん【大人しい生徒】くん【仲良し】くん【?????】くんというふうに相手が自分のことをどう思ってるかによって呼び名が変化するのは面白いアイデアだなあと思った。

志賀春樹という「僕」の本名をずっと伏せてきたのもこの効果を最大限にいかすためだろう。そしてその本名。死が(志賀)横にいる。春に咲く樹。桜=桜良と出会うべくして出会う。というのをイメージしたのでしょうね。これなんてもうホント中二病。

本名を知った途端「似た名前の小説家がいるわね」と(桜良)母子に同じリアクションをさせ、「どちらをイメージしたかはわからないけど」と「僕」が心のなかで同じツッコミを返すところなんてのもやっぱりアレだし。

「僕」に友だちが周りにいないことを寂しいではなく「たった一人の人間として、生きている君に、私は憧れてた。私の人生は、周りにいつも誰かがいてくれることが前提だった。ある時、気づいたの。私の魅力は、私の周りにいる誰かがいないと成立しないって。(本文引用)」とまで彼女をして言わしめるのもまさにアレのなせる業だ。

あと「僕」が彼女にとって「日常を与えてくれる存在」でしかなく逆にそこが「僕」の最大のセールスポイントだというのは個人的にとても好感が持てた。たとえ妄想といえどそういう奥ゆかしさというのも大事だ。

「私を彼女にする気は、何があってもないよね?」とか「恋人を作る気があるって言ったら、どうにかしてくれるの?」と彼女にそこはかとなく本心をちらつかせるところなんて悶え狂いそうなくらい胸キュンレベルが高いぞ。薄々は勘づいているけど気付かないふりしている自分を妄想するという。自分で勝手に妄想しといてこの歯痒さが出せる高等戦術はさすがだ。

さらに次のフレーズなんて妄想としてはそうとうハイレベルじゃないかしら。もはや憤死しそうな高みである。

僕らの方向性が違うと、彼女がよく言った。当たり前だった。僕らは、同じ方向を見ていなかった。ずっと、お互いを見ていたんだ。反対側から、対岸をずっと見ていたんだ。

くり返すがここには中二病男子のピュアな妄想が全部詰めこまれていると思った。

さて最後にタイトルについて。

「昔の人はどこか悪いところがあると他の動物のその部分を食べる」→「君の膵臓を食べたい」(彼女の台詞)。 「人に食べてもらうと魂がその人の中で生き続けるっていう信仰も外国にあるらしいよ」→「膵臓は君が食べてもいいよ」(彼女の台詞)。「君の爪の垢を煎じて飲みたい」→「君の膵臓を食べたい」(「僕」と彼女共通の台詞)。というふうにタイトルフレーズが持つ意味もだんだんと変化してきている。

「君の爪の垢を煎じて飲みたい」が「君への憧れ」や「君のような人間になりたい」という意に使われているがでもまあここは一般的に「I love you」だろうなあと僕は考えました。かつて漱石は「I love you」を「月が綺麗ですね」と訳したといわれるが「君の膵臓を食べたい」は「I love you」の最高にロマンチックな意訳ということで間違いないだろう。

あそうそう、本文中の「膵臓を食べたい」は漢字の「食べたい」タイトルの「膵臓をたべたい」はひらがなの「たべたい」となっているのは細かい話だけど少しでも猟奇的なニュアンスを和らげる意図(販売戦略として)があったのかなあと。考えすぎですかね。