されど低糖質な日日

~Ⅱ型糖尿病患者のありふれた日常~

『死ぬほど読書』(丹羽宇一郎)を読んだ感想~いい本だとおすすめできない理由があるので人にはおすすめしませんが

『死ぬほど読書』を読む。著者は丹羽宇一郎さん。伊藤忠商事の社長・会長など歴任されたあと中華人民共和国駐箚(ちゅうさつ)特命全権大使を務めた方。現在は早稲田大学特命教授。その丹羽さんによる「死ぬほど」の読書論。かと思って読むといささか肩透かしを喰らってしまうかもしれませんね。ハハハハハ……。理由は追って述べるとして本書はまず「読書はしないといけないものなの?」という一大学生の素朴な(僕的にはむしろ挑戦的な意図を感じるが)新聞投書を取り上げるところからはじまる。この投書自体「一日の読書時間が0分の大学生が約5割に上がる」という調査結果が報告されたことを受けたものであるらしい。次に丹羽さんなりの回答が示されるわけだがこの回答のくだりを読むだけでも丹羽さんがなにごともけっして頭ごなしではないしたたかな経営者であることが窺い知れる。興味のあるかたはどうぞ実際本を手に取って冒頭部分だけでもパラパラやってみてください。僕はといえば本屋さんで本書を見つけたときとっさに刺激的なタイトルに惹かれた。そこに込められた著者(や編集者)の思いが死ぬほど読書をしなさいという啓蒙なのか死ぬほど読書をしてきたという自負なのか死ぬほど読書をしたいという欲求なのか測りかねたからだ。それとなぜ「死ぬほど読書」ではないのかそっちの方もちょっと気になった。本書のなかの「いい本を見抜く方法」という章に本はタイトルが重要で編集者はタイトルをどうするのかもっとも悩み有り体にいえばタイトル次第で売れ行きが決まるのだと著者自ら書いている。「死ぬほど読書」か「死ぬほどの読書」かというのは些末なようでいて案外侮れない問題だろう。僕の完全な主観に過ぎないが印象がぼやけるかどうかがひとつ判断の別れ道になったのではないかと思うのだ。この場合「の」があるよりない方が断然インパクトが強い。「の」があるだけでなんだか微妙に説明くさくなる気がしません? どうでもいいですかはいでは死ぬほど読書を「しなさい」か「してきた」か「したい」か問題についてはどうですかね。これは概ねどれもが当てはまるだろうなあというのが僕の結論。なぜなら強制ではないが間接的にはたくさんの本を読みなさいという主旨のことが本書には書かれているし丹羽さん自身たくさんの本を読んできたとも書いてあるし死ぬまでの限られた時間たくさんの本を読みたいとも書いている。啓蒙も自負も欲求もあれもこれもだ。読書論としては至極まっとうですよね。つまらない結論でほんと申し訳ない。お前の結論なんかどうでもいいからさっさと本書の結論・効能を教えろよという人に対しては以下の箇所を引用して僕なりのせめてものあてこすりとしたい。この部分も言われてみればな~んだというふつうのことが書いている。

基本的にはこれを読めばこういうメリットがあるなどと計算して読むものではありません。読書は心を潤したり、精神的な満足を求めてする無償の行為だと思います。何かリターンを求めて功利的に本を読むのは、読書の価値を下げるし、著者に対しても失礼だと思います。

またこんな一文もあるぞ。

楽しいから読む。わくわくするから読む。心が潤うから読む。そういう気持ちで読むから本はいいのです。読書は無償の行為ゆえに無上の値打ちを持っているのです。

あてこすりのつもりが僕自身にとってもブーメランとなって返ってくる言葉でした。なんだか上手くはぐらかされたような人の深層心理を鋭く突かれたようなもの言いにはがっかりもしちょっと腹立たしくもなる。しかしながら以上の点をきっちり押さえたうえでいっけん矛盾するようだが実際には次のようなメリットがあることも明示してくれるのだ。(どうしてもこの手の本の感想を書こうとすると引用が多くなってしまうなあ。しかも長くてごめん。)

人間にとって一番大事なのは、「自分は何も知らない」と自覚することだと私は思います。 「無知の知」を知る。読書はそのことを、身をもって教えてくれます。本を読めば知識が増え、この世界のことを幾分か知ったような気になりますが、同時にまだまだ知らないこともたくさんあると、それとなく気づかせてくれます。何も知らないという自覚は、人を謙虚にします。謙虚であれば、どんなことからでも何かを学ぼうという気持ちになる。学ぶことで考えを深め、よりよい社会や人間関係を築こうとする。たとえ自分とは違う考え方のものであっても、それを認められる。自分が何も知らないという思いは、その人を際限なく成長させてくれます。

まあ一読ここが本書の肝だろうと思いましたね。丹羽さんがいちばん言いたかったことはここなんだと。僕が最初に死ぬほどの読書論かと思って読むと肩透かしを喰らうかもねと書いた大きな理由も実はここにあった。つまりこれは読書論という体を借りた仕事論であり処世訓であり丹羽さんの人生論そのものなのである。読書も人生の一部である以上読書を語ることはおのずとその人の人生論を語ることになってしまうのは当然の成り行きなのかもしれません。といっても本書はなにも大げさな内容ばかりではないんですよ。具体的に読書について書かれた箇所ももちろんいっぱいあるのだ。僕が強く賛同するのはまず本は人から強制されて読むものではないというところ。それから若いころ読んだものと何十年後かに人生経験を積んでもう一度読み返したときとでは本の捉え方が変わるというところ。興味の持ち方や考え方や感じ方はそれぞれなので人にいい本ですというすすめ方はできないというところ。一方「おや?」と目を惹いたのは丹羽さんが本を買う決め手とするのはずばり目次だと書いてあったこと。目次を見ればどういう内容なのかほぼわかるかららしいのだ。なるほどなるほどと思う反面読書家の方からあまりそういうくだけた意見は伺ったことがなかったから少なからず新鮮な気分になった。逆に反論したくなった箇所でいえば芥川賞を受賞した作品だけは毎回読むようにしていますと書いたあとに「少し前にはお笑い芸人が書いた小説や、コンビニを題材にして芥川賞をとった小説がよく売れたようですが、正直、面白いとは感じませんでした。(本文引用)」となかなか辛辣なことも書いている。うーん僕はお笑い芸人が書いたその小説すごく面白かっただけにちょっと納得できないなあと。参考になったというか励みになったのが「私は40年以上、夜、寝床に就く前に、毎日欠かさず30分以上の読書を続けてきました。(中略)また、どんなに酒を飲んで遅く帰ってきても、本は読みます。(本文引用)」というところ。本は読みたいけど時間がなくてと僕のように言い訳ばかりしている人間はもう素直に反省しましたね。「たくさん本をお持ちなんでしょう。本棚にどういうふうに並べているんですか?」という質問に丹羽さんは読んだ本と読んでいない本を単純に2つに分けているだけだと答えるそうだ。読んだ本や途中でもういいやと読むのをやめた本は片っ端から本棚に並べまだ読んでない本は以前子どもが使っていたベッドに乱雑に置いておくのだとか。いかにも多読の読書家らしい自由闊達で面白い整理法だなあと思った。まあそんなわけでいい本だとおすすめできない理由があるので人にはおすすめしませんがもし少しでも興味あればどうぞ手に取って読んでみてください。売れてるらしいですよ。売れてるから流行だからと手を出す読書にも丹羽さんは否定的だったけどね。じゃあどうすりゃいいんだよと。そういうことを考えるのも読書の楽しみのひとつであり効能だということなのだろう。いまなら幻冬舎のkindle版が紙の本の半値で買えますよ。

死ぬほど読書 (幻冬舎新書)

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