されど低糖質な日日

~Ⅱ型糖尿病患者のありふれた日常~

『渡良瀬』(佐伯一麦)を読んだ感想~昭和のおわりから平成のはじめ「自粛の季節」の私小説

~佐伯一麦さんの『渡良瀬』を読んだ。東京で電気工をしていた主人公の南條拓。長女の緘黙症(特定の場面や条件で話せなくなる症状)と長男の川崎病そして自身のアスベスト禍による後遺症に悩まされつづけ妻の幸子はかつて拓が文芸誌の新人賞をとったこともある小説に自分たちの結婚の経緯をことこまかく書いたことで頑なに心を閉ざすようになっていた。そういった諸々の事情を抱えながら一家は茨城の古河に移り住み拓は配電盤の製造工場で見習い工として働きはじめる。流れ者と陰口を囁かれながらもその土地で出会った人々との関わり合いをとおし少しでも早くその地に馴染もうと懸命に生きていく拓と家族の物語だ。いわゆるこれは私小説である。他の佐伯さんの小説と同様主人公の南條拓はまぎれもなく佐伯さん自身の投影だろう。一読深く印象に残るのは拓の配電工としての仕事についての記述だった。電源切り替えなどに使用する配電盤に細線や太線など幾種類もの電線を慎重かつ精巧に美しく配線していく過程のいささか細やか過ぎる描写。専門家でもなければわからないような工程をけっして疎かにせずひとつも書き洩らすまいとする作者の執念のようなものを感じた。わからないからつまらないのではない。わからないなりに読んでいるうちそのあまりの執拗な描写に不思議とあるときからふつふつと笑いが湧き上がってくるようになりそれがだんだんと感動にまで昇華するのにたいして時間はかからなかった。理屈でない実感である。緻密な描写力は仕事だけでなくたとえば自転車のパンク修理の工程や給料日の夜に妻とささやかなご馳走のしゃぶしゃぶをする場面や子どもたちに鉄棒を作ってやる場面などにもいかんなく発揮されている。まさに佐伯一麦さんの真骨頂’(佐伯ワールド)とでもいわんばかりに。加えて同じ工場内で働く先輩熟練工や同僚や女性事務員たちや関連会社の社長らの仕事ぶり人間性とそれぞれが抱えているのっぴきならない事情についての鋭い人間観察力が垣間見えてそこもこの小説を読む大きな楽しみだった。長くなるのでひとつひとつはここに列挙しない。もし興味があれば小説を手にとり読んでみてください。ことに本所さんと林さんの配線に対する向き合い方の比較やふたりの仕事の成果物への拓の見方そのものもはじめと終わりで変化していくところなど僕は読んでいてなるほどなあと思わされた。出来あがりの美しさ作業のスピード作業後の電線屑の多寡。さまざまな制約のなかで最善の仕上がり具合とはいかなるものか。見習い工の拓が徐々に仕事を覚えていくに従って見え方は当たり前のように刻々と変わっていくのだ。そういう描写にもいっさいの手抜かりがない。上手いなあと思った。工場内の人間関係だけでなく住んでいる家の近隣の人々や新しい土地で出会うさまざまな人々への眼差しがどれも好奇心溢れて豊かで温かい。拓がふだんの暮らしのなかで気付いたことを忘れないようこまめにノートに記しことあるごとに読み返したりしていることからもわかるようにこの小説は日記みたいな小説なのだがふつうの日記と決定的に違うのは全体が綿密に構成されていることだろう。完成され出荷される配電盤がトラックの荷台にロープもかけずに積まれる場面。ベテラン女性従業員が世間話でする近所に入ったという強盗の話や長女の学校の連絡帳に書いてあった変な人が出没しているという話。あるいは拓が毎朝一番にする工場内のゴミを集めて燃やす仕事。拓と同じようにこの土地に流れ着いてきているという噂のやくざものが拓がはじめてこの地で馴染みになった小さな居酒屋にも現れる。土地のものと流れものとのあいだの目に見えぬあるいは目に見える形でのいさかい。そういったいっけん脈絡のない不穏な噂話や出来事がことごとく伏線となって終盤近く拓の住宅と同じ敷地内にあるアパートの大火事に帰結しやがて小説の題名になった渡良瀬遊水地の野焼きへと収斂していくのだった。

何気なく見遣った西の空が、赤く焼けたように染まっているのに拓は気付いた。遠くで火事だろうか、となおも見続けていると、さっきまで晴天だったはずの空に、どす黒い雲が湧き上がりはじめた。その下からおびただしく立ち上る煙が黒雲を作っているのだった。
「火事みたいです」と声をかけながら、拓は第二工場を回って第一工場の本所さんにも告げた。(中略)
「ほら向こうの方が」と拓は指差した。
「ああ、野焼きかあ」とのんびりした口調で本所さんが言った。「そうだね、渡良瀬遊水地の野焼きの煙だね」と赤川さんも頷いた。(中略)
「毎年、あの火を見ると、今年も冬が終わったなって思わされるんだよねえ」と本所さんが言った。

いうまでもなく舞台は社会の教科書で習った足尾銅山事件を歴史的背景とする渡良瀬遊水地を望む土地である。時代設定は昭和の終わりから平成の初めにかけてのころだ。昭和天皇崩御の前後に世間を覆った「自粛の季節」とでもいうべき時代の閉塞した空気感を当時まだ若くて独身だった僕自身いまでも鮮明に覚えている。テレビからは華やかな歌唱番組やけたたましいお笑い番組が軒並み消えた。大物ミュージシャンが出演したCMで「お元気ですか?」という台詞が口パクになるという念の入れようだった。本作は文芸誌『海燕』に連載中に雑誌が廃刊となり連載が途絶えていたものに後あらたに書き加えられ手が入れられて完成したという。そこには直接には作品で触れられることはないが著者自身も被災した東日本大震災という視点も加わっているだろう。そういった具合で舞台背景・時代背景・執筆背景とどれをとっても徹頭徹尾明るい題材とは云えない小説である。著者の他の作品を読んでいるものにとってはこの主人公夫婦はやがて後に離婚し家族はバラバラになる(佐伯一麦が私小説作家であることを前提としてだが)ことも知っているわけだ。知ってはいるが主人公一家に一縷の希望の光がほのみえるラストには心救われるところがあってやはりよかったなあと思った。この小説を独立した一個の作品として読む分にはその希望の光にせめて縋りつきたいという気持ちで胸がいっぱいになった。まったく本所さんの配線ばりに見事熟達した手腕というほかない。僕はこれまで佐伯さんの代表作は『ノルゲ』だとずっと思ってきたが『渡良瀬』も捨て難いものになった。

渡良瀬 (新潮文庫)

渡良瀬 (新潮文庫)

 

 ま、これは関係ないけど。

渡良瀬橋

渡良瀬橋