されど低糖質な日日

~Ⅱ型糖尿病患者のありふれた日常~

小さな成功体験を積み重ねるのは大きな成功のための手段ではなく、むしろそのことじたいが目的であるという考え

いきなり今回のエントリの結論になるが、これ以上でもこれ以下でもなくタイトルどおりのことを近ごろの僕は考え意識して実行するようにしている。小さな成功体験を積み重ねるのは大きな成功のための手段ではなく、むしろそのことじたいが目的であるという考えに沿って行動する。

以前からネットのライフハックなどで、小さな成功体験を積み重ねることによって徐々に自分に自信が生まれ、その蓄積がやがて大きな成功に結びつく、というふうな記事をよく目にしてきた。そのことをやみくもに否定するつもりはない。むしろけっこうなことだと思う。

僕自身のことをいえば、起業家でも個人事業主でも大手企業のエリート社員でもない、ふつうの(否、ふつう以下の)零細企業で働くただの従業員だ。20年以上連れ添った奥さんがいて子どもたちがいて、という程度にはしあわせな家庭はあるが、けっして裕福ではなく(否、暮らしは汲々とし)、まして健康にも大いに不安を抱えている(というか立派な病人です)。もはや若くもない。

だからというわけでもないが、将来に対してとくべつ大きな希望とか野心というものをそもそも持ち合わせていないのだ。こういってはミモフタモナイかもしれないけれど、事業に成功して大金持ちになりたいとか、社会的に立派なことを為して地位や名声を手に入れたいとか、そんなだいそれた夢を本気で思い描いてはいないのだ。

子どもたちの未来に関してなら少なからず期待はしているけどね。だけど僕自身のこととなると、どうかせめてこのままできるだけ安寧に暮らせますように、とそのことだけを控えめに祈って生きているような人間なのです。奥さんには申し訳なく思っているが、彼女とはさすがにもう運命共同体みたいなものだしね。

いや、べつに自分を極端に卑下するつもりじゃないよ。ふつうにごくふつうにこのくらいのしあわせレベルでこの先も寿命が途切れるその瞬間まで生き永らえることができたらいいなあ、と漠然と思ってるだけだ。ほんとそれだけ。

そんな僕にも悩みはあってな。日々の暮らしのハードルは小さなものから大きなものまで実にさまざま。うんと先々のお金の問題から、細かな仕事のあれやこれや、苦手だなあと感じている人間関係のことまで、数え上げたらきりがないほど。もっとも僕だけがとくべつ多くあるというものでもないと思うけど。

カレンダーをながめながら、知らず知らず憂うつというマークがついた日付がすぐ間近にせまってくる恐怖だとか、いまのシフトがイヤ過ぎてしょうがないとかさ、あたらしい語学の学習がちっとも捗らないとか、やらなければならないことが次から次へという焦りとかさ、誰しもなにかしらあるでしょ?

正直言うと僕はこれまでの人生、そういうことには極力目をつぶって、見て見ぬふりをして生き延びてきた。その場その瞬間から逃げ出す方法を考えることばかりにエネルギーを注いできた。そうして人知れずキリキリと胃に穴をあけてきたのだ。いよいよ逃れられない状況になってもなお、上手くいかなかった場合の言い訳をあれこれ考えることに余念がなかった。

たとえばサッカーの試合で決着つかず、PK戦になりとうとう自分の順番が回ってきたとする。突然天候が激変してボールを蹴るどころのピッチコンディションではなくならないかなあとか、なんなら助走の最中に軽く足を挫くという誰の目にも明らかなアクシデントが自分の身に降りかかってもいいや、くらいのネガティブな気持ちしか湧かなかったのがこれまでの僕です。

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けどそういうのも案外ストレスたまるのよ。PK苦手ならふだんから一生懸命練習すればいいのにそれもなんか億劫で。ところが最近、なにがきっかけだったかわからないし、きっかけなんかもうどうでもいいんだけど、どうせこの状況から逃れられないのならいっそ逃げないで成功するにはどうすればいいかちょっと真面目に考えてみようと思うようになったのです。可笑しい。だからって日ごろから猛練習しようという発想には至らないのですが。

ま、ちっとは大人になったのかなあ。どうせならもっと人生の早い時期に気づくべきだったという後悔もあるけどそこは先に立たずで。ともかく、事前準備はなにが必要か。どういう段取りだと上手くいくか。始める前に何度かイメージトレーニングしてみる。いつもよりちょっとだけ早めに出勤してみるとか。時間に余裕を持たせるというほんの些細なことでしかないけど、実際試してみる。

どうせはじめから失うものはないし。もともと小さな課題でしかなかったんだから。成功しても世界があっと驚くようなことなんて微塵もない。自分だけが腰の下辺りで目立たぬガッツポーズつくっておしまい。他人からはできて当たり前だとしか思われないようなことだ。自意識だけが邪魔していたことだもの。いつもようにモタモタしてもちっともかまやしない。その失敗を糧に次につなげよう。

なにも不得手を克服してしまおうなどという大げさなことではい。曲がりなりにも問題から目をそらさず向き合ってみようと思っただけだ。怯えてこそこそ逃げ回ったり、憂うつを抱えたまま塞ぎこんでいるよりよほど気持ちが楽だ、ということにいまさらながら気づいただけなのだ。

こうやって書き出してみると、自分でもな~んだそんなこと、と鼻で笑っちゃうような他愛ない話ですよねえ。逆にいままでどうしてやらなかったの? とあなたならきっと呆れるようなことですよねえ。だから僕は人生において大きな成功を収められなかったのだといまならよくわかる。

くどいようだけど、締め切り期限の一日前にレポートを提出するとかだよ。苦手な人にこっちから話しかけてみるとかだよ。それくらいのごくごく小さな成功体験を、それも毎回毎回成功しなくたっていいから、2回に1回くらいの成功でも、3回に1回くらいの成功体験でもいいから、コツコツと積み重ねていこうと思う(どんだけ自分に甘いんだって?)。その先の未来に大きな成功などなにも期待していないただの小さな成功体験をね。たまたま今回は運よく上手くいってよかったなあ、という程度の成功を積み重ねようと思う。

すべてはささやかな心の安寧のために。あ、そうか、心の安寧のためだなんて言っちゃうと、小さな成功体験を積み重ねるのは目的のための手段ではないということと厳密には少し違うニュアンスになるかもしれないですね。でも「必ずしも大きな成功を望むわけではない小さな成功体験」という意味のことを僕は伝えたかったのだ。

結果なにが変わったか。とくべつなにも変わらない。上手くいったら「よし!」とひとりほくそ笑む。ほんの少し自信めいたものはついた気がする。でもやっぱりそいつが目的じゃないから。あくまでも結果論でしかない。ほぼ、小さな成功体験を積み重ねるということじたいが目的のようなものだ。ゴールのないRPG。しつこいようだけど世界を驚かせようとか奇跡を起こそうとかいう野心も期待もこれっぽっちもない。

まだ十分若い人で、いや若くなくったって、まだまだこれから世に打って出よう、いつか必ず偉大なことを成し遂げたいと思っている人は、そんな小さな成功体験くらいでいちいち満足してちゃいけないと思うけどね、まあ僕のように考える人がなかにはいたってちっともおかしくないでしょ? というお話でした。