ヒロシコ

 されど低糖質な日日

野呂邦暢『モクセイ地図』と運動会のリレー選手

気がついたらあともう3ヶ月で今年もおわる。仕事のシフト表の時間にあわせて玄関を一歩出たとたん、「あ、キンモクセイだ」とわかるくらいの甘い香りが漂ってくる。近くのマンションの、ふだんはただの生垣ぐらいにしか思っていなかったところが、下の方にオレンジ色の可憐な花を咲かせはじめた。このときになってあらためて、「ああ、そうかこの生垣はキンモクセイだったんだなあ」と思い出すのだ。そんなことを僕は性懲りもなく毎年くり返している。

野呂邦暢は、自分が住んでいる土地に関して、頭のなかにしかない紙に黄色い点を打っただけのキンモクセイ地図をこしらえているのだと書いている。ながいあいだひとところに暮らしていると、どの家の庭にどんなキンモクセイがあるのか、おおよそ思い描けたそうである。(随筆選『夕暮の緑の光』より『モクセイ地図』)

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カラリとした秋晴れの日曜日。通い慣れた小学校の前を通ると、運動会の子どもたちの歓声が聞こえてきた。自転車のペダルをこぐ足を止め、しばらくその歓声に聞き入る。いまはどんな競技が行われているのかなあなどと想像しながら、僕の記憶は下の子がまだ小学校3年生のときの忘れられない運動会の思い出をフル回転で探し当てようとしていた。

あの日。学校からよろこび勇んで帰ってきた下の子が、「聞いて聞いて! こんど運動会のリレー選手に選ばれたんだよ!」と弾んだ声で言ったのだ。前もって体育の時間に測った50メートル走のタイムは、本人も納得いく遅いタイムだったらしく、今年もリレーの選手はとっくにあきらめていた。というか、はじめから選手に選ばれることなどちっとも期待していなかった。

なのに担任の先生は、「運動会のリレーに出たい人?」と、いきなりクラス全員にたずねて手を上げさせたそうなのだ。そうして立候補した生徒たちのなかから、なんとジャンケンで下の子は選手に選ばれた。「そっか、こんどの先生は走りたいっていう意欲のある生徒をリレーの選手に選ぶことにしたんだなあ」と僕は言いながら、下の子の頭をごしごし撫でてやった。

ジャンケンというやり方は少々乱暴かもしれないけれど、前例にとらわれない先生の英断もうれしかったが、なにより積極的にリレー選手に立候補した下の子の勇気が、やはり僕にはうれしかった。ところが――。

「先生この学校の運動会はじめてだったから、リレー選手の選び方をよく知らなくてごめんな」という電話があったのはその夜のことだ。電話に出た下の子は、苦笑いしながら先生の謝罪とリレー選手の変更を素直に受け入れた。そうして例年どおり、50メートル走のタイム順でリレー選手は選抜されることになった。そこにはもちろん、下の子の名前はない。

きっと、ジャンケンに負けて選手になれなかった子どもの親から学校へ妙な横やりが入ったのだろう。さもなくば他のクラスの担任の先生から、父兄から苦情が出るよとか、毎年選ばれるのを楽しみにがんばってる足の速い子どもたちが気の毒だ、という説得があったのかもしれない。

いずれにせよ、あとから電話を代わった僕にしても、下の子がすでに了承したものを拒否するつもりなんてもとよりなかった。僕に対しても同じように誠意をもって謝罪をくり返すまだ若い担任の先生に向かって、「いいんですよ」と電話口でやんわりと言って受話器を置いた。そうして、「くっそー、来年は絶対に真剣に走ってやるっ」とことさら悔しがってみせる下の子の頭を、僕はまたごしごしと荒っぽく撫でてやった。

仕事で遅く帰ってきたカミさんには、あとで僕からそのいきさつを一部始終話して聞かせた。カミさんも、「そう……」と一応はがっかりしたふうだったけれど、でも結局はそれだけだ。大事なのは、リレーの選手に選ばれることではなく、積極的に立候補した下の子の心意気と、先生の謝罪を素直に受け入れた気持ちのやさしさだと、カミさんも僕もそう思っていたからだ。

リレーの選手であろうとなかろうと、親にとってみれば運動会の主役はいつだってわが子だけなのだということを、あのときのきみは知っていただろうか。 

夕暮の緑の光 (大人の本棚)

夕暮の緑の光 (大人の本棚)