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されど低糖質な日日

~Ⅱ型糖尿病患者である僕のありふれた毎日~

もらとりあむ

日記

40代後半でいまの会社に転職してきた人と、仕事の休憩時間に話す機会があった。

その人が言うには、自分はバツイチで子どももいない。前の奥さんと別れたあとつきあっていた女性がいたころはそうでもなかったけれど、その彼女とも別れ、いまはひとりっきりで生活するようになると、現実的に他になんの楽しみもない。だからバイクと車にお金をかけ、バイクはさすがにもうこの歳では危なくなったので、好きな車をとっかえひっかえ乗り換えているのだと。

離れて暮らしている母親からは、「お前いつになったら落ち着くの?」と呆れられ、「いい加減そういうチャラチャラした車はやめて、ワンボックスカーかなんかにしたら?」としょっちゅう小言を言われているのだと苦笑いした。その母親がね、小言ついでに今度いつ顔を見せに帰ってくるのかと聞くんですよ。まだ転職したばかりで有給がもらえないから、あと半年は無理だと答えているんですけどね。

しかし、ときどき自分でも、いまさらもう再婚は難しいだろうし、いったい俺何やってるんだろうなあと思うことありますよ。このまま人生が終わっちゃうのかなあって、と言ったあと、照れ隠しのつもりなのか屈託なく笑うのだった。

僕が、「でもだからって人生をどこからかやり直していいとしても、もうそれも面倒くさいでしょ?」と訊くと、その人は急に真面目な顔つきに戻り、そうですね、面倒くさいですね、いまはひとりの生活がわりと気楽だし、と答えた。

そろそろ僕の休憩時間が終わりかけたころ。

社内で働く若いフリーターたちのなかには、部署の仕事が忙しくて昼の休憩時間もろくすっぽとれず、それでも文句言わず一所懸命働いているいわゆる意識高い系の若者もいて、そういう彼らを見てると、つい自分が若いときのことと比べて、すごいなあ、自分のようないい歳をしたおっさんがのんびり休憩なんかしてらんないぞ、と思う反面、どっかで鬱陶しく思うところもあるのだ。

と、その人は急ぎ足で付け足すようにそう言った。

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『もらとりあむタマ子』という映画で、前田敦子さん演じる主人公のタマ子は、大学を卒業しても就職せず、実家へ帰って、日がな一日テレビを見たり漫画を読んだりコンビニで買い食いしたり気が向いたら近所を散歩したりと、毎日ぶらぶら過ごしている。

そんなタマ子を見かねたお父さんが、ある日、
「就職活動してるのか?」と言うと、
「そのときがきたら動くって!」とタマ子は逆ギレする。
「そのときってのはいつなんだ!」と負けじとお父さんが食い下がると、タマ子は毅然としてこう言い放つのだ。
「少なくとも、今ではない!」

あっ、このくだりすごくいいなあ、と僕は思った。モラトリアムなんていうと法律的な、それか哲学的でちょっと高尚な感じがするけれど、映画のタイトルにもなっているように「もらとりあむ」とあえて平仮名にすれば、たちどころに、ぼんやりとしたどっちつかずな状態、というふうになる。

いまはずいぶん状況も違うらしいが、ひと昔前だと、大学生活こそがモラトリアムなんだから、その上まだ社会に出るための猶予期間が要るの? という話になれば、それは圧倒的多数で要らないという結論になっただろうね。だけど、当時でも世の中にはなんとなく「そうかなあ?」と思う人だって少なからずいて、僕なんか完全にタマ子側の人間だなあと映画を見ながら苦笑する他なかった。

でもまあ、いまの僕はさすがにもうそういう年齢をはるかに通り過ぎてしまっている。

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『オリーヴ・キタリッジの生活』という小説を読んだのだ。13の短編で構成され、どれにも元数学教師オリーヴ・キタリッジが登場するけれど、どれもにおいてオリーヴは主役というわけではない。ときにはわずか一行だけで通りすぎる通行人であったり、登場人物たちの会話のなかに名前だけが出てくる場合もあるという具合に。

そのオリーヴが暮らすアメリカの小さな町の住人たちが織りなす人間模様を、この連続する短編は鮮やかに描き出している。前述したとおり話の端々に登場するオリーヴの人生そのものも、決して恵まれた楽しいものというわけではないし、人間的に決して素晴らしくよく出来た女性であるとはお世辞にも言えない。

全体をとおしてとても寂しく辛めの話が多いけれど、そこにわずかに見いだせる希望というか、端的にいうと、まあ人生なんてこんなものかなあ、という控えめな肯定感のようなものが大きく胸のなかに拡がるのを感じた。派手さはないが滋味深いなかなかよい小説なので、もし興味があれば一読をお勧めします。

さて、その小説のなかで、僕がとくに気に入った話がある。オリーヴという74歳の老いた女性が、同じように老いた男性とベッドを共にしている。どちらも連れ合いに先立たれた者同士、オリーヴの表現を借りれば、互いに穴ポコだらけ。オリーヴは思う。元気な若いころだったらこんな男には手を出さなかったかもしれない。だけど、向うだって同じように私なんかという女を選ばなかったかもしれない。だからって、それがどうだっていうの。

オリーヴは男の胸に手をのせこう思う。やがてこの心臓が止まるときがくる、どの心臓もいつかは止まるのだ。でも、それはいまではない、と。

僕はもうそれはタマ子の年齢よりもオリーヴに近い。誰がなんと言おうとオリーぶの側にいる。僕の人生はやり残したことだらけで、人生はやり直しがきかない以上、これからあとそのやり残したことをいったいどれだけやれるか、と考えたとき、いまという時間が実にかけがえのないものに思えてくる。それは理屈じゃなくね。もちろん病気になったことと無関係ではないけれど、いまは「死」までの残り少ない猶予期間なんだなあと、しみじみ思えてくる。 

もらとりあむタマ子(新・死ぬまでにこれは観ろ! ) [Blu-ray]

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オリーヴ・キタリッジの生活 (ハヤカワepi文庫)

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ポストモラトリアム時代の若者たち (社会的排除を超えて)

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