ヒロシコ

 されど低糖質な日日

非正規の図書館司書という官製貧困(ワーキングプア)に苦しむ女性についての記事を読んで自分の感情を整理するために問題点を7つ書きだしてみた

正直いうとふだんはこういう記事、読むとせつなくなったり腹が立ったりすることが多いのでめったに読まないようにしてるんだけど、なんかしらんが今朝ホントたまたま読んでしまって、案の定すごくせつなくなって胸がしめつけられるように痛んだ。自業自得だとか僕には到底そういうふうには思えないし口にできない。というかこの現実、なんとかならんもんかなあ。 

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僕の身分だってこの記事の女性と現実には大差ない。似たようなものだ。10年以上前わけあってそれまで勤めていた会社を辞め、病気(糖尿病および網膜症)が発覚して、だけど僕にはさいわい家族がいてくれたおかげでなんとか絶望だけはしなくて済んだ。まあそれだってこれから先のことはわからない。 

ということもあって、他人事のように憤ったり胸を痛めたりしてるだけじゃなく、この記事に寄せられたコメントを読み、ツイッターの反応を見てじゃなくて、いくつかの問題に切り分けられるなあと感じたので(具体的には7つほどのポイントにまとめてみた)、とりあえず自分の感情を整理する意味で、その問題点を書きだしてみました。

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  1. 年収204万円、手取り13万3442円、ボーナスナなし(非正規職員の平均賃金は205万1000円らしい)という賃金が妥当なのかあるいは不当に安いのかという問題。

  2. 同じような仕事をしていても正規職員との給与格差が1/3程度だという問題。

  3. 嘱託は1年契約、更新は最長5年と決まっていて、その期限がくると、がんばっても仕事で成果を出してもクビになる、という雇用形態はどうなのかという問題。非正規にもメリットとデメリットがある。

  4. (1の問題とも関連して)家賃5万円のアパートに住み、仕事帰りに駅前のスーパートで割り引き食材や総菜を買い、部屋にはテレビもパソコンもない、という暮らしがはたして貧困なのかどうかという問題。遊んだりおしゃれする贅沢はできないけれど、最低限住む処と食べることはできるわけだから。

  5. この女性がいうところの「真面目に働いているのにと」いう場合の「真面目」や「がんばって働く」という場合の「がんばる」の定義はどうなるのか? 誰がどのような基準でそれを判断したり、そもそも「成果」ではなく「真面目」ということがどの程度の評価対象になりえるのかという問題。

  6. ○○員などというような(例えば図書館司書)職業としての肩書というか保障がほしくてしがみついているのか、それとも好きな分野の仕事がしたいからがんばっているのかという問題。

  7. 誰もが望めば自分の好きな仕事に就けるわけでははないという、当たり前といえば当たり前の問題。むしろ圧倒的多数の人が好きな仕事には就いてない(というデータを僕が持ってるわけではないですが)。どんなに歌が上手くても歌手になれるとは限らない、など。

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1~3に関しては、これはとりあえず個人でいますぐどうにかできる問題というよりは、安倍政権が積極的に推し進めようとしている「働き方改革」や「同一労働同一賃金」や「一億総活躍社会」といった、長時間労働、正規非正規の賃金格差、女性の社会進出問題など、あまねく社会全体の喫緊の課題として考えていかなければならないだろう。

働き方の問題だけでなく、セーフティネットやベーシックインカム、年金など経済的社会保障の問題とも場合によっては広くかかわってくる問題かもしれませんね。それに、非正規で働くことのメリットもあるわけで、デメリットだけをことさら言い募るのは一方的でフェアじゃない気もする。

では、個人レベルの問題としてはどういうことが考えられるのか。端的にいうと、いつまで(年齢的なことで)いまのまま不安定な雇用形態に我慢してるのか。いますぐ転職するか。それともダブルワーク・トリプルワークなどの長時間労働(副業を含む)を甘んじて受け入れるか、という限られた選択肢しかないのが現状でしょうね。

それは4の、貧困の定義の問題とも無関係ではないはずで。(決して認められることがない)仕事をして、(つましく)食べて、(先のことを考えると不安に駆られながら)寝て、また仕事をして、というだけのちっとも潤いのない暮らしが本当にしあわせなのかどうか? いつホームレスになるかわからないようなギリギリの生活をするために僕らは生きているのか? どうもここらあたりに本質的な苦悩があるような気がするなあ。

とはいってもね、この記事の女性の場合のようにある程度の年齢に達してしまうと、なかなか条件のいい転職先は見つからないだろうし、たとえ転職に成功したとしても、実際もらえる給与はいまとおそらく大差ないという、悲しい現実から抜け出すことはかなり難しいでしょうしね。

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このツイッターの方(勝手に引用して申し訳ない)が言ってることはよくわかる。そしてたぶん現実はそのとおりなんだろうなあと僕も思う。「賃金」が「真面目な労働」に対する対価だという勘違いも往々にしてあるでしょう。本来なんらかの成果に対して支払われるべきものなのにもかかわらずね。僕もそこのところよく誤解して考えがちだ。

そしてなにより、一度じっくり立ち止まって自分の気持ちを冷静に整理・分析してみれば、いますぐすべきことが学芸員の資格をとるための勉強をすることなのか、つまり図書館司書という肩書とか容れ物にこだわり続けることか、いやそうじゃなくて器の中身、自分が本当にやりたい仕事ができる環境をなにがなんでも手に入れるための努力をすべきかは、明々白々だということですよね。

スマホを持ってるくらいだから確かに書評ブログなら書ける。学芸員の資格取得に費やすお金でパソコンを買うこともできたかもしれない。まあそうなんだけどね、いやそうであるならばなおさら、もうちょっと寛容な物言いでもいいんじゃないかなあ、と正直僕は思いました。記事自体が事実のルポルタージュだとして、この記事の女性が現実に存在するとして、もう少しこの女性に寄り添ったアドバイスができないのかなあと。感情論としてはどうあっても承服できない。

だってさ、書評ブログ(例えば、だろうけど)をはじめたとして、書店業界で引く手あまたになるのはやっぱりほんの一握りの、稀有な存在だけに許された特権であって、それは学芸員の資格を取り図書館司書として正規職員に雇い入れてもらえる確立とどっちがどっちだ、ってくらい厳しい話なんじゃないのかなあと思うのだ。

まして本人にそういう能力があるか、あっても誰かの目に止まって認めてもらえる運があるかいうことも、自力で貧困から抜け出すための大事な要因なわけだし。結局「好きなことしてるんだから貧乏くらい我慢しろよ」とか「才能があるなら貧困なんて難なく乗り越えられるだろう」とか「才能や運がなければ早々に諦めて別の現実的な仕事に就くより他ないね」という、ミモフタモナイ議論に往きつくのかもしれないですね。悲しいけど。

他人事とはいえ「あきらめろ」のひとことで簡単に片づけてしまっていいのかなあと、妙なモヤモヤ感だけが残りました。理屈ではともかく感情的なことをいえば、この女性のような人を僕は突き離せない。すでに書いたことだけど、あきらめたとしてその先にじゃあ光明が見いだせるかというと、はなはだ懐疑的だしね。この絶望から自力で抜け出すのはとても容易なことじゃないのは、むしろ容易に想像がつく話だからさ。

もうひとつこの問題を、非正規の図書館司書という求人が、この記事の女性のような40歳ひとり暮らしというターゲットをはじめから想定していない、つまり雇用する側と被雇用者側相互のミスマッチから生じた不幸だ、というふうに片付けることもできるわけだけど。そう看破するにはあまりにも世知辛いせつない話ではあるよなあ、と思ってしまいました。

それにいま世間で盛んに議論の的になっている保育園や保育士不足による待機児童の問題は、だとするとあれはいったいどう落としどころを見いだすつもりなんでしょうね。保育士さんたちが重労働のわりに安い賃金で働いているのは、やっぱり不幸なミスマッチの所以なのかしら。 

まあでも、僕が具体的にこの女性に相談を受けたとするならば、やっぱり現実的にいまよりほんの少しでも条件のいい転職を勧めるかなあ。その上で好きな仕事ができるような環境を手に入れる道を、なんとかして見つけてくださいと、情けないけど祈るようなアドバイスしかできないだろうなあ。ホント、祈ることくらいしか、僕にはできないんだよ。 

なくそう! 官製ワーキングプア

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