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されど低糖質な日日

~Ⅱ型糖尿病患者である僕のありふれた毎日~

高畑淳子さんの謝罪会見について思ったこと

考え

今日は仕事が休みだったので、先日ホテル従業員の女性に対する強姦致傷容疑で群馬県前橋署に逮捕された俳優の高畑裕太容疑者の事件のあらましについて、母親で女優の高畑淳子さんの謝罪会見の様子も含めて、終日テレビの情報番組等で放送されていたものを見ました。

今回のような芸能人の犯罪にかぎらず、いわゆる成人した子が犯した事件では、はたしてその親がマスコミの前に登場していちいち謝罪会見を行わなければならないのかという議論がくり返し持ち上がります。これについて僕は、他人事としては社会のルール上その必要性をあまり感じないのですが、一方で僕も人の親として、なんらかの会見をしなければという親の心情というのも十分理解できるなあと思っています。

まず事件の被害者がいるならばなによりその方に向けて謝罪したい。次に迷惑をかけた関係者に謝罪したい。親としてそのような子育てしかできなかった自分の不徳を誰にということなくお詫びしたい。そして最後に、今回の高畑さんがそうだったように、それでも子は子であり親は親であることを自分自身もう一度再認識し、いつかそのことが事件を犯した本人にもメッセージとして届けばいいなあと思うからです。

まして当人および親が、芸能人や社会的になんらかの影響力のある仕事に従事している場合なおさらではないでしょうか。そういう思いで今日の高畑淳子さんの謝罪会見を見ていて、彼女が腕のいい女優であるということを差し引いたとしても、そのいかにも憔悴しきった様子にはやはり同情の気持ちを抑えられなかったですね。つくづく親というのは因果な商売だなあと痛感しました。

だって息子の女性関係だけならまだしも、(狭い意味での)性癖についてまで公の場であからさまに質問され、そのことについて誠意をもって答えなければならないのですからねえ。あのての質問が一部で批判されてるようなゲスな質問だとは僕はちっとも思いませんし(なぜなら事件の性質上そういう質問に及ぶのはふつう致し方ないと思うから)、あえて会見に臨む以上当然覚悟の上だったでしょうが、まあそれにしても想像して余りある辛さだったと察します。

それから、自分や息子の仕事について、仕事というより自分たちのいわばレゾンデートル(存在理由)について明確に「商品」であると割り切った上で、自分たちの現在と今後のありようを考えなければならない点も、そうとうな悲愴な覚悟があってのことだったのだなあと理解します。

また、自分たちが「商品」であるという認識とともに、もうひとつ僕が気になったのは、被害者の女性について終始「被害にあわれた方」「被害者といわれる方」「被害者とされる方」という呼び方をしていた点です。正直はじめ、僕はそれがなんだかいかにも他人ごとのような違和感というか釈然としないものを感じていたのです。

ですが、こういう事件のあとのこれまで自分も知りえなかった「社会のルール」のようなものがあるということに彼女の発言が及ぶにつれて、ああ、これはむしろ一般的に指摘される「セカンドレイプ」の問題も含めた報道のありかたや、いま現在行われている警察の取り調べに及ぼす影響などについて、彼女なりに最大限配慮しているのだなあとすとんと腑に落ちたのでした。

いずれにしても、被害者の女性やその関係者はもちろん、事件を犯してしまった当人および息子の事件で母親の高畑淳子さんのこれからの人生もまた業火の苦しみに耐えて生きていくことになるのだろうなあと想像すると、なまじ同情などという安易な言葉では片付けられない後味の苦さを残した謝罪会見でしたね。

あと、テレビのこういう問題の専門家のような人が、母親としていまできることは、とにかく被害者に宛てて謝罪の意思を伝える手紙を書くことだと話していて、そのことに僕は異論はないのですが、「パソコンではダメです、必ず直筆で書く必要があります」と力説するのを聞いて、履歴書はワープロ書きが手書きかという論争を漠然と思い出してしまいました。まだ一般的な意見としては、そういうふうなことなんだなあと、場違いな感想ですが。