ヒロシコ

 されど低糖質な日日

映画『コクリコ坂から』感想(劇場公開時の感想です)

当ブログですっかり恒例となった、「金曜ロードショーで放映される映画を公開当時劇場で見たときの感想を再掲します」企画の第3弾です。今夜はジブリ作品『コクリコ坂から』。はじめに書いておきますけど、これとっても素敵な映画です。リオオリンピック開催中のまさに今、そして4年後の2020年、東京オリンピックを控えた今だからこそ、このタイミングでのテレビ放映の理由が、今夜明らかになるかもしれませんよ。初公開が2011年の夏だから、もう5年も前のことなんですね。  

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Teshima Aoi手嶌葵 / さよならの夏 ~コクリコ坂から~

 

『コクリコ坂から』を公開当時見た感想(ほとんど加筆修正なし)

映画の舞台は1963年の横浜。港を見下ろす古い洋館に暮らす高校生・松崎海と、彼女よりひとつ年上で同じ学校に通う風間俊とのあいだに芽生える淡い恋物語。海は留守中の母親に代わって、下宿屋「コクリコ荘」を切り盛りするしっかりもの。海たちの高校では、折りしも、文化部の部室として使われている歴史ある建物「カルチェラタン」の取り壊しを巡って、学生たちによる反対運動が起こっていた。

その中心メンバーが俊だった。そしてふたりにはなにやら出生の秘密が……。などといっても、決しておどろおどろしい話とはならない。反対運動といっても政治的なイデオロギーや血なまぐさい抗争があるわけでもない。ストーリーは平坦で、そのくせ人物関係がやたらと込み入ってわかりづらい。主人公である海のあだ名さえ誰もがあらかじめ見知っているかのように突然そう呼ばれ、なぜそんなあだ名なのかという説明もいっさいない。

物語の最後に感情のカタルシスが得られるわけでもない。俳優たちの演技がものすごく上手かったとかそういうのでもない(まあアニメだしね。声優さんたちはよかったですが)。絵はきれいだが決してダイナミックに動くわけではない。その絵も、上半身とか顔の表情はいいのだが、全身になるととたんに精度が落ちる感じがした。『サザエさん』に出てくる人物のように、下半身が鉛筆のように先細りで全体のバランスが妙に悪いのが気になった。

それからこれは一般的に好意的に言われるだろうが、ノスタルジーというのとも、僕の場合はだいぶ様相が違う。この映画の時代設定当時の僕はそれこそまだ赤ん坊だし、しかも田舎に生まれて横浜の町や東京があんな感じだったなあという懐かしさなんてまるでゼロだもの。

俊や海たちが学校新聞をガリ版刷りするときの、ガリをきるコリコリという音や、練ったインクの上をローラーで手前から奥へ転がすときのネチネチとした手触りは僕も覚えている。僕らもそうやって学級新聞を作った。脱水槽がない時代の一槽式洗濯機では、脱水は取っ手のように横にくっついていたローラーをハンドルでぐるぐる回して水を絞る。うちにあったのも映画に出てくるのと同じような型のものだった。

アイテムの懐かしさというのは確かにあるかもしれないが、それらをことさら強調して押し出しているふうでもなかったなあ。ただ、人と人との出会いがあり別れがあり、朝がやってきて夕暮がやってきて、日常の暮らしがあって学校生活があって、守りたい記憶や知っておきたい秘密がある。過去を振り返ってあのころはよかったと美化するのではなく、たまたまその時代の「いま」を掬い上げ切り貼りしただけの映画。主人公・海と同じ時代に生き、海の日記をこっそり盗み見しているような。

で、そんなこんなこんなをぜーんぶひっくるめて、『コクリコ坂から』よかったんだよ。すごくよかった。たまらなくよかったですね。僕は大好きです。断然支持します。もっかい見たい。その理由が上手く説明できないのが非常にもどかしいけど(ダメじゃん)。

感動で泣き崩れるとか、ハラハラドキドキするとか、恐怖でひきつるとか、笑いっぱなしだとか、深く考えさせられたとか、全然そんなことはなかったにもかかわらず、1時間半ずっと心地よかった。出そうで出ない涙を瞼の裏側に溜めたまま、ああ、このままもうしばらく映画の世界に浸っていたいなあと切実に思った。

戦国時代とか幕末とかそんな大昔の話じゃない。電話だって自動車だって地下鉄だってある。いまの暮らしとそんなに違わないちょっとだけの昔。悩みごともやっていることもいまとそれほど変わらないちょっとだけの昔。

ひょっとしたらだけど、これは僕だけの考えかもしれないけれど、そこまでだったら戻ってもう一度やり直せるのではないかというギリギリの生活、を思い出そうよ、というのがこの映画の裏テーマなのかなあと思ってみる。他意はなくあくまで象徴的に言うけど携帯やインタネットがなくても、それでもみんなが十分イキイキと暮らしている時代に。

音楽もとてもよかった。いたるところに歌があって、それもパーソナルじゃない歌が、ふだんの生活になくてはならない様子がよかった。手嶌葵さんが歌う『さよならの夏』は胸を締めつけられるようなせつない調べ。僕は森山良子さんの元歌も好きだけど、こっちも負けず劣らずいい。

港を見下ろす静かな佇まいの古い下宿と、いつも騒々しいカルチェラタンの対比が面白い。カルチェラタンという建物は動かないが、ひとたび学生たちで溢れた内部はいったい何層かも判然とせず、ゴチャゴチャとカオスのようにいつも動いている感じがしてよかった。まるでハウルの動く城みたいだと思った。夕焼けが美しかった。海の作るハムエッグやアジフライや、ウインナーと玉子焼きだけの弁当も肉屋さんで買うコロッケも美味しいそう。

下宿の賄いだけでも海ちゃんは多忙なのに、そのうえ俊の活動の手伝いまで申し出るのはひとえに俊といっときでも一緒にいたいからに他ならない。そういう気持ち、おっさんの僕でもよーくわかるのだ。おっそろしく急な坂道を、自転車で真っ逆さまに下るドライブ感は爽快だった。うーん、やっぱり素直にノスタルジーかなあ。どうなんでしょう。

(追記)あ、この映画見るとお肉屋さんの店先で買うコロッケ、あれ間違いなく食べたくなるから、糖質制限している人には要注意ですよ。