されど低糖質な日日

~Ⅱ型糖尿病患者のありふれた日常~

夏の夜の金縛り体験

もうウン十年も昔の話だ。東京の東の端っこにある小岩という町で、家賃3万ちょっとの古い風呂なしアパートに住んでいたことがあります。はじめは東京の私立大学に通っていた弟とふたり暮らしでしたが、そのうち弟が中学校の先生になるため田舎へ帰って行き、結局僕だけがそのあとも数年間ひとりでその場所に住みつづけました。

アパートの前は道路を挟んで、地下が駐車場になっている3階建ての小さなビルで、全フロアをなんとかという(名前を忘れた!)商事会社が占有していました。どことなく『サザエさん』のなかに出てくるマスオさんが勤務する海山商事というふうな感じだなあ、と当時僕は勝手にそう思っていました。

面倒くさいのでもうそういう名前だったことにしますがが、その海山商事が、なんとある日そっくり居ぬきで葬儀社に生まれ変わっていたのです。常識で考えれば、ある日突然まったくべつの会社になっているなんてことはありえないから、海山商事が業績不振で倒産したか、反対に業績が上がってもっと大きな都心の本社ビルに引っ越したかしたのでしょう。

なにしろ僕はその過程を、つまり出ていく海山商事にもあとから入って来た葬儀社にも、ほんの目と鼻の先に住んでいながらどちらにも不思議と気づかなかったので、ある日突然ということになるわけですね。

余談ですが、僕の田舎の実家は小さな墓地の前に建っています。そこで多感な少年時代を過ごした僕にしても、やはり気分としては葬儀社の前に住むというのは正直あまりいい気がしないものです。もとより、そんな文句いってもイヤならそっちが出てけよ、という話なのでぐっと我慢しましたが。

風呂はなかったけれど、さいわい隣の隣が銭湯だったし、駅から歩いて10分とかからない立地条件で、なにより家賃が格段に安かったから、僕としてもそのアパートを引き払うのはためらわれました。

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そんな具合にして突然葬儀社がやってきたのにも驚きましたが、なによりいちばん驚いたのが、夏の盛りのちょうどいまごろ、昼過ぎに目覚め、部屋になにも食べものがなかったので銭湯の向こうの酒屋さん兼なんでも屋さんまでお弁当でも買いに行こうとアパートを一歩出たら、すぐ前の道路のこっち側と向う側、あっちの信号からそっちの信号までのあいだにずらりと、一見して堅気とは思えない黒服のその筋の人たちが立っていたことです。

(あとから人伝に聞いたところによると)実際どこかの組の親分さんの葬式だったらしく、歩道に整列した人たちの数に負けないくらいのおびただしい数の花輪が立ち並び、黒塗りの高級車が慌ただしく地下の駐車場を出入りしていました。僕はたちまち竦み上がってしまい、お弁当はあきらめそそくさとアパートの自室へ引き返したのです。あれはほんとうに肝をつぶしたなあと、いま思い返してもじっとり冷や汗が出てくるほどです。

それからこれはたんなる偶然だと思うのですが、葬儀社がやって来てからというもの、夜寝ているとき僕は頻繁に金縛りにあうようになりました。金縛りは軽い金縛りから、田舎に帰ったはずの弟が玄関のドアを何度も何度もノックして、「オレだよ、開けてくれよ」と抑えた声で訴えているにもかかわらず僕の方は出たくてもピクリとも動けない、というやや程度の重いやつまで、さまざまなバリエーションがありました。

そんな話を当時勤めていた会社の同僚にしたところ、彼は「ボクなんていつのまにか知らない女の人が胸の上に乗っかっていて、ボクの首をぎゅーっと絞めてるっていう金縛りにあうよ」とあっけらかんというので、事務所にいたみんなで「そのおなじ状況で首さえ絞められてなきゃいいのにね」と大笑いしましたね。

僕がカミさんとつきあいはじめたのもそのアパートに住んでいるときでしたが、つきあいだしてほどなくこんどは全然べつの町でいっしょに暮らすことになったので、不思議なことにカミさんは一度もそのアパートの僕の部屋へ来たことがありません。

それからまただいぶ年月が経ち、僕の仕事上のつきあいがあった人のお父さんが亡くなったという連絡を受け、またべつの知人の車に同乗させてもらって急いで葬儀会場へ駆けつけてみたところ、かつて僕が住んでいたアパートの前の、あの葬儀社だったということもありました。そのとき僕ははじめて、「海山商事からたった一晩で葬儀社に装いを一変させたビル」のなかに足を踏み入れたのです。

故人は地元の消防士だったらしく、厳かに消防隊の団旗が掲げられ、ごく小人数の楽隊が葬送の曲を奏でるなかを、現役の消防士たちが霊柩車まで棺を担いでいくという、こういっては不謹慎かもしれないですが、まるでアメリカ映画でも見ているようなめったにない珍しい葬儀に立ち会ったのでした。