ヒロシコ

 されど低糖質な日日

いつもひとりぼっちだった

そういうことをいうんだったら、僕だって学生時代はずっとひとりぼっちだったんだよね。

一日中誰とも話さないとか、お弁当もひとりで食べるとか、放課後いっしょに遊ぶ人がいないとか、部活入ってないとか、グループ学習や修学旅行の班分けなんかでいつも最後に余るとか、授業中あてられてわからなくて立たされたとき誰からもクスクス笑ってさえもらえないとか、いじめられるとか、そういうひとりではなかったけど。

ふつうに友だちはいた(のだと思う)。朝、教室で会えば「おはよう」とあいさつするくらいの。宿題を忘れたとき見せ合いっこするくらいの友だちはいた(と思う)。文化祭や体育祭などの行事でもたぶんクラスのなにかしらの役には立っていた(はずだ)。だいいち僕、生徒会長やったし(それ自体が黒歴でもあるわけだけど)。そういう活動は積極的にやった方だから。

でもだからって、みんなの輪の中にいても、教室のわりとまんなかへんにいて、そこでヘラヘラ笑っていたとしても、なんていうんだろうなあ、「みんないったいなにが楽しいの?」と、こころの底ではずっと感じていたんだよね。周りにあわせて笑ってるふりをしていただけ。

たとえば渋谷のスクランブル交差点を渡りながら、すれ違うやつ全員とハイタッチかわしても、それは友だちの証でもなんでもないのと同じ。それのいったいなにが楽しいんだろう、というのと同じで。

むしろ、同じグループでいつもつるんでる連中に対して、ちょっと見下すような、軽蔑とまではいかないが、本心は決して打ち明けられないぞ、という冷めた気持ちだった。(僕的に)もっと上のレベルの友だちと過ごしたいんだって。こいつらほんとうの友だちじゃない、ほんとうの友だちはどこかべつのところにいて、まだ僕はそいつと出会ってないんだと思っていた。近い未来に、きっとそいつと出会うに違いないと大まじめに考えていた。

あのころ思い描いていた近い未来を、僕ももうとっくの昔に通りすぎているでしょうね。こうして振り返ると、当時の僕はものすごく自意識過剰な鼻持ちならないイヤなやつだったんだなあ、とわれながら思いますデス(といいつつ、白状するといまでも周囲に対してそういう気持ちがなきにしもあらずなんですけど)。

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また、いっとき彼女がいた時期もあるんだけど、いつ別れ話切り出されるかハラハラドキドキしながらつきあってたような気がします。こういう恋愛の要素が絡まると問題はいっそう複雑になるが、要するに自分に自信がなかったのだ。すべては劣等感の裏返し。成績がとくべつよかったわけでも、部活でめざましい活躍したわけでも、モテモテだったわけでもないので、自分の薄っぺらさが怖くて物理的にひとりになれなかっただけなのだ。

あるいはしがみついていただけなのかもしれません。端っこじゃなく、いってみればドーナツの内側の空洞の縁のところにぶら下がる感じだった。学校の人間関係はよくピラミッドに喩えられる。当時はまだ具体的にスクールカーストなんて言葉はなかったけれど。でもそれより僕はドーナッツだと思う。中心があるようで中心の実態はない。実態のない中心の周りを取り囲むようにして人が離合集散しているドーナッツ。

僕が必死でぶら下がっていた場所も、GPS的な観点でいえば、きっと円の中心付近に見えたでしょうね。実際は、そんな空洞にきわどくぶら下がっていてもなんの意味もなかったのに。いつ振り落とされるか不安だらけの、ときどき、そういう学校生活がたまらなく窮屈で虚しかったなあ。そしてその虚しさを埋めるものが僕にはなかった。アニメとか楽器とか、夢中になれるものがなにひとつなかった。本や映画に本格的に出会うのはもっと後になってから。「おたく」にさえなれなかったわけだ。

これいま書いててそうとうしんどいというか、いろいろ思い出してツラくなるんだけど、あまり一般的な共感は得られないだろうなあとは思うよ。そんなの贅沢だって、わたしのひとりぼっちはそんな半端な生易しいものとは違うって。あるいはひょっとして、逆にみんな多かれ少なかれそんなもんだよ、いまさらわかりきったこというな、とお叱りを受けるかもしれないですね。つまり黒歴史ですらないと。

でも「ひとり」って誰かとその軽重まして優劣を競うものではないし、それぞれのひとりがあって、個人差があって、誰かのひとりの方がツライとかあっちはラクそうだとかいうものでもない。自分にしかわからないひとりのツラさや寂しさや反対に気楽さとか諦めとか、そういうのがあるんだということを僕はいいたいわけです。

物理的にひとりぼっちでいるだけがひとりじゃないよ、という、こんなこと誰に向けていうわけでもなく、誰のなんの慰めにもならないだろうことを、いまさらいいたくなりました。 

本日、話題の「ポケモンGO」の配信がスタートしました。スマホに搭載されたGPS機能をもとに、リアル空間に存在するポケモンを探し集めるゲームだそうです。実際に外を歩き回らなければならないこと、知らない人同士でも対戦(バトル)ができるなどのコミュニケーションツールとしても期待されているようですね。

ただ、これはツイッターにもいえることですが、コミュニケーションツールという側面をあまりにも前面に押し出し過ぎると、それが容易に出来ない人はなにかしら疎外されたような感覚を抱いてしまいがちです。なのでまあ基本は「ひとり」、自分と外部はもしかしたらどこかでゆるやかにつながっているかもしれないね、という程度の認識でいいのではないかと思います。  

roshi02.hatenablog.com  

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