されど低糖質な日日

~Ⅱ型糖尿病患者のありふれた日常~

読書感想文にあらすじは必要ですか?

そもそも広義な意味でブログを含むSNSで、赤の他人が書いた本の感想など誰が読みたがるだろうか? 読む人などいるのだろうか? という疑問が僕の場合まずあるわけですね。ツイッターのようについ目に入ってくる短いコメントならともかく。

著者は別ですよ。著者はそりゃあ他人の評価が気になると思う。いわゆるエゴサーチってやつですか。書いただけで満足という人がいないとも限らないですが、それだって自分の作品が好意的に受け入れられたらやっぱりうれしいでしょうし。反面、怖さもあるでしょうけどね。

あと、自分もその本を読んだよという人。そういう人は、自分と同じものを自分以外の人が読んでどう感じたか、どう評価しているのかということが気になる場合もあるかもしれない。さて問題は、感想(ないし感想文)の対象となってる当該の本(この場合は小説を想定してますが)を、まだ読んでないという人です。もしくは読む予定もないという人。

そういう人にとって、他人の感想なんていったいどんな価値があるのだろう。価値というか、そもそも需要があるのだろうか。そこで思うのは、多くの人はせいぜいそれらを作品の紹介文かなにかだと勝手に解釈して読んでいるに違いないということです。なにか、というのは、紹介文でも解説文でも推薦文でもとりあえずそのへんはなんでも構わないからなのですが。

つまり、他人の感想文を読むことによって、間接的に自分もその本を読んだつもりになったり、あるいは自分が読む本を探すときの判断材料にするためのね。するとそこには、小説の内容をざっくりとでもわかりやすくまとめてくれているか、出だしのストーリーだけでも親切に教えてくれる、その感想文を読むためのとっかかりとなる「なにか」が必要になるのかなあと思ってしまいます。その「なにか」とは、あらすじです。

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あらすじがなければその感想文が、(たとえタイトルはあるにせよ)いったい何について書かれたものなのかさえわからないことだってあるだろうしさ。というふうな経緯でもって、(僕の場合も)感想文というのは名ばかりの、ほとんど全編あらすじだけでできた感想文がポンと一丁上りと相なるわけです。あと、ちょこっと「面白かった」とか「つまらなかった」とかのホント簡素な心情を添えた程度のね。

もしそれで字数が足りないふうだったら、ときには重箱の隅をつつくような文章上の特徴や誤りを指摘してみたり、大筋とはおよそ関係ない当たり障りのない個所について如何にももっともらしく意見を述べることもあるでしょう。もしくは、思い切って自分語りに持っていくとか。いちおう登場人物の置かれた境遇やそのときの心理状態に即しながら、自分ならどう思うかどう行動するかを考えそれをダラダラと書く。

でもそれもまだ良心的(?)な方で、ときには内容そっちそけ、小説のテーマだけ借りてあとはそっくり自分の経験を語ってしまうという手だってあります。そうなるともはや感想文なのかエッセイなのかわからない。以前、新聞かなにかの記事で、感想文の書き方のアドバイスを求められた中学受験塾の先生が、「本を読んで思い出した自分の体験を書けばいい」と答えていることに対して、僕は生意気にもこんなふうに思いました。

「テクニックとしてはあるだろうが、自分の体験ばかりじゃあ作文といっしょだもの。内容そっちのけで、つまり本のことではなく自分のことばかり書くというのは、どこか本と正面から向き合ってないような気がする。小学生に、そういうテクニックを教えることが本当にいいことなのかと考えてしまう。それだったら全編あらすじだらけになった感想文の方が、僕はよほど読むのが楽しいだろうなあと思う。あらすじを書けるということは、少なくとも本と向き合った証拠なんだから。もちろんそういう感想文がコンクールの賞を取れるとは思わないですけどね。」

いやいやいや、あえてどれがどうだと誰かを糾弾したりあるいは僕自身について弁明するつもりはないんですよ。そうではなくて、いつも僕がまっさきにそして純粋に考えるのが、「感想文にあらすじは必要か?」ということなのです。このエントリのはじめの方にも書いたように、例えばあらすじがない感想文を読むことは、書いた当人はまだしも感想の対象となった本を読んでない人にとっては、さっぱりなんのことかわからないただの苦痛な体験でしかないだろうなあと。

そもそもブログでそういう記事をがんばって書いたとしても誰からも読んでさえもらえない。

あらすじと一概にいっても、冒頭に簡単なものを書いておくパターンで、しかるべきデータベースから引用しておくやり方もあれば、感想文の途中で折に触れてあらすじを書き足すというやり方もありますね。どっちのやり方にしても、あらすじを書く書かないという問題は(勝手に問題にしてますが)、僕の中で結構大きなしこりとしてあって、ずっと以前から実はひとり悶々と悩んでいることだったのです。

ついでにいうと、あらすじをいっさい書かない、自分語りに転嫁しない、そういう読書感想文というのが本来僕の理想です。それでも感想文を読んだ人が、おおよそどんな本だったかわかるような。で、なにより自分も実際その本を手に取って読んでみたくなるような。その感想文が読み物としてひとつの作品にまで昇華しているようなね。あるのかそういうの。

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いまはネットでプロアマ問わずいくらでも感想やらレビューやら書評やらが見つかる時代だから、いざ自分が書く段になったとき、参考にしようと思えばいくらでも参考にできて便利です。ただそいうのをつい見てしまったら、今度はそっくりおなじになぞらないよう腐心しなけらばならないという弊害もある。パクリとかコピーとかってそれはそれですぐわかっちゃうし。なので、却って気苦労の方が大変かもしれない。

僕が子どものころはもちろんネットもなかったし、小さな田舎町の図書館や学校の図書室はそれほど蔵書を抱えているわけではなかったので、学校の宿題で読書感想文が出ると、参考にできる作家論とか作品論はすごく少なかった。文庫本の巻末の解説だけが頼りだなんて、心細いこともあった。

先生のなかにはあらかじめ、あらすじを書いちゃダメだとか、作者の略歴などで行数を稼いじゃダメだとか、それなりに厳しい縛りを課せられてがっかりすることもあった。そういう場合のダメというのは、もし認めてしまったら、あらすじと著者の紹介だけで原稿用紙を埋めてしまう不届き者が続出するのが、目に見えてわかったからなのでしょうけど(笑)。

ときどき僕は、いまこうしてブログ(SNS)に読んだ本の感想を書いているのが不思議に思うことがあります。そしてあいかわらずあらすじをどうしようかと悩んでいる。進歩ない。どこかのデータベースから引き出して、最初にどんと提示してしまえばあとが楽だなあとか。あらすじを上手にからめながら書く方が書きやすいなあとかさ。

ときにはあらすじなど一切無視して、まるごとそっくり自分に引き寄せ自分の言いたいことだけ書くという禁じ手もこの際ありにしようとか。つまり本の感想という体の自分語り。それでも大人になったいまなら誰からも叱られるということがない。宿題じゃないから、面白いし、楽しい。

最後にひとつ。ネタバレの問題も忘れてはならないでしょうねえ。肝心なその小説の核心部分についてあれこれいえないという。でもそこを云々かんぬん議論することこそ本来の感想であり批評なのではないかという。非常にデリケートでやはり悩ましい問題です。まあネタバレ問題については、いずれまたあらためます。

というわけで、思いつくままバラバラまとまりのないことになってしまいましたが、感想文を書くに当たって、いろいろと難しいのを承知でそれでも面白いからやってるんだという結局弁解かよ、という内容でした。乱暴に感想文と言葉をひとくくりに断定して書いていますが、そこはブログのエントリ記事でも学校の宿題でも、なんなら批評でも批判でも解説でもレビューでもいいですよ。厳密にいえばそれぞれ違いはあるでしょうが、便宜上同じようなものとして一度考えてみました。

この「感想文にあらすじは必要ですか?」にあらすじはありませんが、全文読んでいただいた方の感想をお持ちしています。なお、僕はかつてブログでこんな読書感想文を書いてきました。以下―― 

roshi02.hatenablog.com

  

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