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されど低糖質な日日

~Ⅱ型糖尿病患者のありふれた日常~

座高測定と社内健康診断のプライバシー問題に共通するいや~な感じ

なんと、本年度から小中高の身体測定から座高測定が廃止になったと聞き及び、記憶のずっと奥底を濁った水がチロチロと流れ続けているような、そんな苦々しい思い出がじわりとよみがえってきました。さすがに大人になって座高を測定する機会はついぞなくなってしまいましたからね。廃止の理由は「意味がないことがわかったから」だそうです。そんなことに多感な時期を十何年間もつきあわされたのかと思うと、まったく怒り心頭ですよね。僕、あれすごーくイヤだったなあ。

身長や体重はまだしも、座高の高さを調べることにいったいなんの意味があるんだろうと、やっぱり子ども心にも思ってました。「間接的に日本人の腸の長さの統計をとってるんだよ」などとまことしやかにいうやつもいたけどね。ホンマかいな、と。なにしろ自分の胴体の長さ、言い換えると足の短さを面と向かってつきつけられるわけですからね。どう考えても愉快なはずがない。

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なので座高を測るときは、身長のときとは正反対に、わざと猫背になって座ったり、前の方に浅く腰かけたりしてましたね。無駄な抵抗というか。ところが先生の方でもそういうことは百も承知なわけで、「はい、背筋伸ばして」とか「もっと奥に座って」などと決まって注意される。おまけに、調べた結果を本人と記録係の人にだけそっと聞こえるように伝えればいいものを、まるで陸上大会の走り幅跳びの日本新記録でも出たかのように「○○(名前)、××cm!」などとわざわざ大声でいうから、本気で毒盛ってやろうかとか思ったくらいでした。

いまではプライバシー保護の意識が厳しいので、さすがそういうことはなくなったのかもしれませんが(どうなんでしょう?)。前述したように、学校を卒業してから座高そのものを測ることはなくなったけれど、ひとつそれに似た思いをすることは実は今でもあって、それはズボンを買うときです。とくに試着室で裾上げをやってもらわなければならないときは、あの座高測定のおぞましい記憶がふっとよみります。

見ず知らずの店員さんについ見栄を張って、どうしてもズボンの腰の位置を気持ちだけ上へ持ち上げてしまうくせが抜けません。店員さんもそこは心得たもので、「腰の位置はそこでちょうどいいですか?」と、暗に「もう少し下でしょ?」と修正を促され、いかにも見え透いた嘘をあっさり見破られたみたいでほんとかっこわるいったらない。

そういうのがイヤだから、ウエストと丈の長さが決まったサイズのズボンを取り揃えている量販店でしか、僕は正直もうズボンを買わないことに決めた。自分で勝手に試着して、あとはレジへ持っていけばいいだけだから。それができるようになってずいぶん気持ちが楽になりました。

コンプレックスや悩みは人それぞれだろうし、ちぇっ、あれなくなっちゃうのか、と寂しい思いをすることも世の中にはたくさんあるでしょうが、少なくとも座高測定が廃止になって残念だという人は恐らくいないでしょうからね(いたらごめん)、ひとまずよかったなあと思うのです。どのみち僕にはもう縁のないことですが。

まあ、座高測定に関していえばそれで一件落着なんですが、大人になって実は座高測定に負けず劣らずイヤな体験というのがあります。勿体ぶってもアレなのではっきりいってしまうと、それは健康診断です。身体測定同様、身長・体重・視力などをひととおり測ったうえで、腹囲つまり腹回りの長さというかでっぱり具合まで余計なお節介で測定します。さらに血圧や心電図、胸部レントゲンとか。

検尿や採血は学生のころにもありました。でも当時と比べてより緊張を強いられるのは、あらゆる結果の数値が自分が想像した以上に悪い(もしくはその可能性が高い)という事実を、否が応でもつきつけられてしまうからです。実際僕の場合、糖尿病をはじめとしてたくさんの病魔にやられた身体なので、その怖れたるや推して知るべしです。

定期的に大学病院で検査をするようになってからは、なかば慣れっこになってしまった感もありますが、それでもやっぱりイヤなものはイヤで、決して好きに転じることはありません。ただ検査結果に一喜一憂をしなくなったくらいです。しかも血圧などは、アレ病院で測るとなぜかふだんより高めの数値が出るんですよね。不思議ですよね、気のせいでしょうか。

先日、職場で年一回の健康診断がありました。うちは、指定の検診センターや病院へこっちから出向くのではなく、巡回の定期検診車と医療スタッフさんたちが、会社までわざわざ来てくれての検診です。以前勤めていた会社では、ちかくの公共の施設に同様の巡回検診がやってきて、それにうちの会社の社員も参加するというスタイルでした。

いずれにしても、健康診断のための専用の施設ではないので、狭い場所にいくつもの設備を持ち込んで、限られた時間内に順番に並んで検診を受けます。服をたくし上げたりする心電図や内科検診などはカーテンで間仕切りされているとはいうものの、ときどき中での会話が聞くともなく外へ洩れてしまうことだってあるでしょう。

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今年は、血圧を測っているとき、問診票を見たスタッフの一人が、僕の既往歴に糖尿病のチェックが入っているのに、インスリンも飲み薬も服用してないことになっているのに疑問を持ったのか、その場で僕に確認してきました。同様に、コレステロールや血圧を下げる薬の服用についても。

当然個室ではないので、僕のあとに並んでいる人や、すぐ隣で視力検査をしている人、体重測定をしている人にもあるいは聴こえたかもしれません。たぶん聴こえたでしょう。僕の気のせいならいいのですが。ちなみに僕の病気のことは、もちろん一部の人以外は知りません。自分から言いふらすことでもないので。

医療スタッフの人が疑問を持ってそのことを僕に確認するのは当然といえば当然の行為で、それ自体を責めるつもりは毛頭ないし、でもまさか筆談というわけにもいかないでしょうしね。非常に難しいところだと思います。ましてその人は大声だったわけではなく、むしろ抑えたトーンでその気遣いはせめてもの救いといえば救いでした。最大限のプライバシー保護に配慮してくれた結果なのだと思いたいです。

またまた以前勤めていた小さな会社の話になりますが、そこで受診した僕の健康診断結果を、社長に他の社員の前でバラされたことがあったのです。そしてなぜか取引先の社員の前でも、飲み会の席で蒸し返されたことがあります。当人にそれほど悪気はなかったのでしょう。まだプライバシー問題に世間がそれほどうるさくなかった時代のことです。

けれど再検査の項目の多さに心配しているふうを装った社長の心無いその行為に、僕は心底怒り同時に恥ずかしい思いをしたものです。どうして個人の健康情報を、社長とはいえ会社の人間が知りうるのか。よほど就業に支障をきたす場合をのぞいて、会社がその病歴を知っている必要があるのか? 義務なのか権利なのか? 実はこの問題については、いまでも僕は納得いく答えをもたないのですが。

最近では「糖尿病」「インスリン」「ヘモグロビンエイワンシー」などという言葉にかぎらず、健康にそれほど頓着ない人でも知っているくらいそういった健康キーワードはむしろ聞き慣れた言葉になりました。それだけに健康に関する個人のプライバシーの問題はいっそう難しい局面になってきたといえますね。

今回のことは僕にとって一瞬ドキッとした出来事でした。大人になって、座高測定の思い出と似た苦々しい(そしてなぜか恥ずかしい)思いをよもや味わうとは。こういうことが十分予想されるとはいえ、実際起こりうるからなおさら健康診断って僕はイヤなんですよ。緊張していかにも健康に悪そうだし。