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されど低糖質な日日

~Ⅱ型糖尿病患者のありふれた日常~

あなたがスルーしたあなたへの悪口はどこへ行ったの?(スルースキルの浅くて狭くて軽い考察)

自分の言動や態度を誰かに面と向かって批判されたり、陰でこっそり悪口を言われているのをまた別の誰かから知らされたり、たまたま立ち聞きでもすれば、やっぱり落ち込みますよね。そんなとき、あなたならどうしますか?

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もしあなたが信頼できる人にそのことを相談したら、その人は「気にしないでスルーしちゃえば?」とあなたにアドバイスをくれるかもしれません。また、巷に溢れる自己啓発本を読むと、悪口を言われていつまでもくよくよ悩んでないで、スルースキルを身につけることが肝要です、などと書かれています。

かつてムーディ勝山さんというお笑い芸人のネタで、『右から来たものを左へ受け流すの歌』というのが大ヒットしたことがありましたが、右から左へ受け流すとは、つまりこのスルーするということに他ならないのです。スルーする。スルースキル。辞書を引くまでもなく、「気にしない。無視する」、その技術(テクニック)ということです。

なるほど、できることなら自分への悪口は無視して右から左へ受け流したい。左から右へでもいいのですが。ところが、無視というのは文字どおり「視無かったことにする」わけだから、実際には既に見てしまっている。たいていの場合、悪口はもう聞いてしまっているのだ。右から左へとその動線までしっかり追っている。なんかもうその段階で負けですよね。

どんなにスルーしようとあがいても、現実に見ちゃったんだもん。これを無かったことにはできない。どだい無理があるというか、容易なことじゃない。不倫相手とラブホテルから出てきたところを週刊紙の記者に見つかって、「お願い、見なかったことにして」といくら平身低頭しても後の祭り。だって見ちゃったんだもん、と先方はきっと言うに違いありません。

だからヒトは、ヒトはというか僕は、いつも苦しむのです。いやいや、不倫とかラブホテルとかはこのさい僕とは関係ないことですよ。ともかく、スルーといっても、人間の網膜や鼓膜に、あるいはいったん頭の中(脳)に入ったものをそう易々と追い出せるものなのか。記憶はいつか薄れ忘れ去られていくものだとして、悪口も同じようにいつかは忘れられるものかしら。

消えた記憶といっしょに消えた自分への批判や悪口というのがその後どうなるのか、どこへ行くのか、残念ながらそれは僕にはわからない。ヒトが死んだらどこへ行くのかわからないのと同じように。あるいは自分の血肉となったり、ほかの細胞の栄養分となって自然消滅するのかもしれない。

だったらそれまでのあいだはしばらく、別のことを一所懸命考え、全然別のことに夢中になってみる。そうして脳の中に占める別の土地の占有面積を大きくして、相対的に悪口の家を小さく隅っこに追いやるのだ。

ただし、例えばヒトが悪口をスルーできたとして、それにしたってきっと痕跡くらいは残るだろう。場合によっては断片のひとつやふたつは居残ることになる。そういう小さくてもカウンターパンチのようなダメージって、案外バカにできないですよね。まるでバラの棘のようにチクチクチクチク刺して、痛いったらない。

では、いよいよスルーされた批判や悪口の本体はいったいどこへ行くのだろう。右から左へ受け流したあと、自分の体の上を通りすぎたあとの悪口は、死んだ魂のようにそこらじゅうをふわふわ彷徨うことになるのでしょうか。いずれは天上へと召されるのでしょうか。

さいわい梅雨のこの季節は、空気中の塵芥といっしょに雨に洗われ、道路の排水溝から下水管を伝わり、川を流れ、やがていつかは大海へと注がれるのでしょうか。海に出た悪口は、メッセージボトルのように遙か太平洋を漂い、ひょっとしてサモア諸島のどこかの海岸へと流れつくかもしれない(サモア諸島がどこらへんにあるのか正式には知りませんが)。

だけどさ、メッセージボトルのなかの僕への悪口ってたぶん日本語で書かれたものだから、万が一サモアの漁師さんに発見されたとしても、さっぱりなんのことかわからなくって、そこでもまたポイっとスルーされますよね。まあそうやって何ヶ月も何年間もたらい回しにされたあげく、結局は自然消滅する運命にあるのかもしれません。

たまたま観光で訪れていた日本人が拾っちゃうとか、それこそ奇跡のようなアクシデントがあって、つい余計なお世話で親切心からかつての持ち主である僕のところへ送り返されでもしないかぎりはね。従っていま僕ができることは、せめてそうならないことを祈るくらいです。

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一方、僕という愚かな人間のなかからも、当たり前ですが他人への悪口は出てきます。それはしかし、ぎりぎり出口のところでビニール袋に詰め、結び口をぎゅうっとやって、燃えるゴミの日に所定の集積場所へ持っていく。もしくは、デスノートの姉妹品「悪口ノート」というA4判のノートにびっしり書き溜めておく。そうして一年間分をお焚き上げのときに神社へ持っていき、ねんごろに供養してもらうとかね。対処方法はさまざま。

いずれにしても自分から出る悪口を自分がスルーするわけにはさすがにいかないので、それはもうがんばって抑える努力をするか、反対に誰かにスルーしてもらうしかないのだ。でも真面目な話、せめてこれだけは、と心がけてることが僕にはあって、それは相手の話やその場で盛り上がっている話題に対して、興味や関心がないことにはなるべく口をつぐむ、ということです。

そういうものには、こっちの愛情も知識も不足しているぶん、つい誰かの悪口になってしまいがちだし、うっかり言わずもがなのことを口走ってしまいます。いちばんタチが悪いなあと思うのは、いっちょかみして「興味ない」と実際に言葉にして言ってしまうことです。

これはね、逆に言われた方の立場だったらそうとう頭にくると思うのです。この暴力性ね。せっかくそれまで盛り上がっていた場が瞬間急冷みたくいっぺんにシラケてしまう。面と向かって反対意見なり別の感想なりを堂々と言うならまだしも、「興味ない」という言葉に対しては、人はいったいどう応対すればいいのだろう。せいぜい「ふ~ん」と答えるしかない。

そもそも、誰かがあなたに「どう思う?」と聞いたの? って話ですよね。何のアピールですか? と。自分の存在がいっときでも忘れられるのはそんなに耐え難いことですか? あれれ、いつのまにか誰かを問い詰める感じになっちゃったけど、うーんと、そういうつもりじゃなくてね……。

例えばいまだったら、テレビやネットは芸能人の不倫の話でもちきりです。そんなときもし仮にですよ、僕が芸能界や芸能人の色恋沙汰にちっとも興味がないとしてね、誰からも聞かれもしないのに「ベッキーにはまったく興味ないからどうでもいいよ」などとあえてツイッターに投稿しないようにしよう、ということだ。

興味があるならまだしも、なければ黙っている。知らない人の家の窓にむやみと小石を投げない。そういう家はスルーして、隣のよく知っている友だちの家の玄関ベルを押す。まあ、それも広い意味でのスルースキルではないかと思うのです。

自分に向けられた根も葉もない悪口や噂話は右から左へと受け流し、また自ずからさほど興味も関心もないことに対しては固く口をつぐむ。スルースキルって、そういうことではないのかなあと思うのです。もっとも言うは易し、ですけど。事実、僕もうツイッターでうっかりベッキーさんのことツイートしちゃったし。そんなに関心なかったのに。ううっ。かっこ悪。 

 
スルースキルって、自分が受け流す立場でも、自分が発する立場でも、どちらにしてもなかなか身につけるのは困難なものだなあ。

悪口を言う人は、なぜ、悪口を言うのか (WAC BUNKO 216)

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スルーする技術 (宝島社新書)

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