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されど低糖質な日日

~Ⅱ型糖尿病患者のありふれた日常~

思い出のオムライス

「かきまぜ」というのは、四国徳島の郷土料理でまぜずしのことだ。このかきまぜが、庄野潤三の小説には必ずといっていいほど登場する。庄野のお父さんお母さんが徳島の出身で、潤三と結婚した奥さんはお義母さんから作り方を教わり、以来、父母の命日やお盆お彼岸にはこの徳島風まぜずしの「かきまぜ」を作ったという。

眠るまでの少しの時間、枕元で『ザボンの花』や『夕べの雲』などの古本屋さんで見つけた庄野の昔の文庫本をひっぱりだし、手当たり次第に頁をめくって開いた頁を摘み読みするのを僕は無上の楽しみとしている。ゆうべはそれが『庭のつるばら』という文庫本だった。いつものようにパラパラとめくっていたら、やはり何度か「かきまぜ」は出てくる。そうして知らないうちにほっと頬がゆるむのを感じた。安心してぐっすり眠られそうな気になった。

ふと僕には庄野のような、母親が作ってくれた愛着のある郷土料理というのがあるだろうかと思い浮かべてみたが、これというものはとくに思い浮かばなかった。が、子どもの頃のことをいろいろとあれこれ考えていたら、そうだ、あのオムライスはもう一度食べたいなあ、というのを思い出したのだ。

いまオムライスといえば、洒落たデミグラスソースがたっぷりかかったふわとろのオムライスをイメージする方が多いでしょうね。あるいは、伊丹十三の映画『タンポポ』のなかに出てきて一世を風靡した半熟卵のオムライス。ホームレスのおじさんとお腹を空かせた子どもが、夜中のレストランの厨房に忍び込み、ホームレスのおじさんが手際よくケチャップライスを炒め、フワフワのオムレツをその上に乗せ、ナイフを真ん中に入れると、とろりと半熟卵が左右に開く。

あの映画のオムライスも実に美味しそうだったが、僕の思い出のオムライスは、親戚の伯母さんに決まって月に一回連れて行ってもらったデパートの、最上階にある大食堂で食べたなんの変哲もないオムライスだ。

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伯母さんという人は、生涯一度も結婚したことがなく、子どももいない。だから僕ら(僕と弟)は、いま思い返してみても感謝してもしきれないくらいほんとうに可愛がってもらった。そのことがまた母親と伯母さん(ひいては父方の実家)との仲に微妙な影を落としていたわけだが、子どもの頃の僕はそんな大人の事情など知る由もなかった。

伯母さんは右足を少し引き摺って歩いた。幼いころ父親の(つまり僕のお祖父さんですね)の自転車の後輪に足を挟まれて負傷した、その後遺症だと聞いたことがあるが、詳しいことはわからない。なのでデパートでエスカレータに乗るとき、タイミングを合わせるのが難しかったようで、かならず僕らを先に行かせ、伯母さんはあとから自分のタイミングで慎重に一歩を踏み出した。

そうやって連れて行かれた最上階の大食堂で、はじめの頃、僕はオムライスばかりを注文していたみたいなんですね(というのも、もうはっきり覚えていないから)。いつしか僕はオムライスが大好物なんだろう、と思われたようだ(実際そうですが)。いまでこそ卵を食べてもコレステロール値は上がらないことが、ようやく医学的にも証明されたとはいえ、当時はまだ健康のため卵は一日1個といわれていた時代だもの(笑)、そういう意味ではオムライスは憧れの食べ物でもあった。

とことが子どもごころに、たまにはハンバーグやお子様ランチを食べてみたいなあと思っても、なぜだか伯母さんの期待を裏切るようで、とうとう僕はそれを切り出せなかったのだ。小学生の高学年にもなると、夏の暑い盛りには周りの大人たちが食べているような、ざるそばや冷やし中華を勢いよくすすってみたいと思っても、やはりどうしても言い出せなかった。黙っていても食券が買われるオムライスを、僕はおいしいおいしいと食べていたのだ。そして事実おいしかった。

たぶんいま食べると、チキンライスはベタベタ、そのチキンライスをくるりと包んだオムレツというか薄い卵焼きだってパサパサの、特別おいしくもないなんの変哲もない昔風のオムライスだったことは容易に想像つく。

かつて上野にある都美術館が建て替えられる前、まだ食堂が食券販売だった頃に、卵の上にケチャップがかかっていないのっぺらぼうで、横にひとつまみのパセリが添えられただけの名物オムライスがあった。あの無粋なくらいのシンプルさは僕の思い出のオムライスにちょっと近い感じがして、都美術館へ行くたびに食堂へ寄っては僕はそのオムライスを食べていた。けれど、それもいまはもうないけどね。

あるいは銀座の煉瓦亭で提供される「元祖オムライス」の、ケチャップライスを卵で包まずに具と卵とごはんとが混ぜこぜになった「元祖」と名乗るあの有名なオムライスとも、味はともかく、見た目ももちろん全然違う。なんというか、もはや僕の記憶のなかだけにしか存在しない、まさに思い出のオムライスなのです。

庄野の小説を読んでいると、そんなことをつらつら思い出した。僕にとっての懐かしいオムライス。それはどことなく庄野潤三の小説に似ている雰囲気があるのかもしれない。そしてくだんの伯母さんも、今年になってあっけなく亡くなり、先日その四十九日の法要が滞りなくおわったばかりだ。季節は春の彼岸に入って、ようやく少し暖かくなりつつある。 

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