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されど低糖質な日日

~Ⅱ型糖尿病患者のありふれた日常~

最強のレジスタントスターチは冷めた炒飯である

餃子の取り分

僕がまだ糖尿病になって糖質制限と出会う前の話だ。あるいは既に糖尿病であったにもかかわらず、それを自覚していなかったころの、または薄々感づいていたくせにそのことから避けてとおっていたころをただ懐かしむだけのバカ話だと思って読んでください。

うちのカミさんはあまりラーメン好きではないので、子どもたちが小さい時分は、僕が子どもたちを引き連れて3人でよく近所のラーメン屋さんへお昼ごはんを食べに出かけた。それぞれネギラーメンとかチャーシューメンとかふつうのラーメンとかを頼んで、そこはお昼時には半ライスがサービスでつくので食べられるようだったらそれもお願いして、あとはきまって餃子を2人前。

べつにケチったわけではないが、ようやくラーメン一杯を余さず食べられるようになったばかりの小さな子にまで、餃子1人前というのは、僕の感覚からしたらちょっと贅沢かなあという気がした。

世間一般の常識として、だいたい餃子の方ができあがりに時間がかかる。その店も例外ではなく、ラーメンを啜りながら待っていると、やがて思い出したように餃子がやってくる。1人前5個。そいつが2皿。まず子どもたちの前にそれぞれ1皿ずつ置く。それとは別に僕は小皿を1枚もらい、子どもたちにこういうのだ。「5個のうち2個ずつパパにちょうだいね」。

子どもたちは、5個のうちの2個を僕にくれても、まだ3個自分の餃子が残るのだから、それで特に不満があるわけではない。自分の取り分の方が僕にくれる分より多い。不思議と損をした気分にはならないらしかった。「いいの、2個で?」と下の子が心配していう。

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かくして僕の小皿の上に、なぜか(ということもないんだけど)4個の餃子が集まる。この時点でさすがに上の子は、「あれ?」と気づいているが、下の子は僕のズルに勘づかない。僕はニヤニヤするだけ。上の子がそっと下の子にいう。「パパの餃子がいちばん多いんだよ」って。「あっ」と下の子が驚いたように声を発する。「おかしいなあ、ぼくとお兄ちゃんは3個食べてパパにあげるのは2個なのに」。

5個のうち2個という数がまた絶妙で、これが5個のうち1個僕にくれるのだったら、自分の4個に対して1個というのは、さすがに不公平だなあと直感でわかる数だったようだ。大人なら全部で10個のギョーザが3で割りきれないことくらい考えるまでもなくわかる。だけどまだ割り算を習ってない下の子にすれば、それはしばらくのあいだ???という謎だったのだ。

でも僕は、下の子のこの疑問がなぜだか大好きで、種明かしがバレたあとも、きまってそのラーメン屋さんへ行くとまるで儀式のようにしょっちゅうこのいたずらを繰り返していた。2回目からはさすがにもう「それズル」といわれるようになったけど。そしてどのみち最初から、僕のもらった4個のうちの1個はジャンケンして勝った人が食べるというルールでしたが。

でもアレ、僕はなんであんなにもくだらないいたずらが楽しかったんだろう。

あるいはさ、この話そっくり反対に考えて、つまり落語の三方一両損みたいに、子どもたちはそれぞれ5個のうちから2個の餃子を僕にくれて、なんとなく2個損した気分になる。僕も本来は一人前5個食べられるはずの餃子が4個になり、さらにそのうち1個をジャンケン用に出すわけだから(ジャンケンに勝つか負けるかは時の運)基本僕も2個の損。そんなふうに考えても面白いなあと。もっとも、はじめに書いたように、いまとなってはそういうのもすっかり懐かしいだけの笑い話だけどね。

 

炒飯の配分

さて、餃子の話について書いておきながら炒飯についていささかも触れないのはやはり片手落ちかもしれません。かつて外でお昼ごはんを食べるときのよろこびと苦しみは、きわめて個人的には、煎じ詰めてなおかつぎゅーっと凝縮すると、すなわち炒飯と餃子をいっしょに食べる、ということにどうも尽きていたような気がします。

どちらも僕の大好物で、それぞれが単品のメニューでありながら、どちらかひとつではいかにも口寂しくて物足りない。かといって、そこにラーメンをつけるほど経済的にも食欲的にも余裕がない。一方で、餃子ライスというのでは、逆になんとなく貧乏くさいし(あくまで僕の感想ですよ)、炒飯ライスに至ってはもはやわけがわからない。なので炒飯と餃子というのは、ちょうど絶妙なバランスの上に成り立った、唯一無二の組み合わせなのだ。

まず店に入って、炒飯と餃子を同時に注文する。だいたい炒飯にはセットでスープがついてくるから、ほかに汁ものは頼まない。出てくるまで読みさしの文庫本の先を進めるか、イヤホンで音楽やポッドキャストのラジオを聴くか、店そなえつけのスポーツ新聞を広げてざっと目をとおすかして、あとはひたすら待つのだ。

その際、頭のなかで炒飯と餃子の食べる配分を組み立てることを忘れてはならない。さいしょに餃子を1コ食べてからおもむろに炒飯の山を崩し、とかね。いやいや、ひとくちめはスープでくちびるを軽く湿らせてから炒飯をがぶり、とかね。

ところが前述したように、よほどのことでもない限り、同時に注文した炒飯と餃子がそのまま同時に出てくることはまずない。93%くらいの確率でない。しかも、先に出てくるのはほとんどの場合炒飯の方だ。これはもう少し確率があがって、97%くらいの確率でそうだといえる。

だからこそこっちも、いかにも想定の範囲内という態度で、先に出てきた炒飯を食べはじめることにする。だって、餃子が出てくるまで炒飯に箸をつけないのは(このケースではレンゲだが)、まるでよく躾けられた行儀のいい犬がおあずけをくらったときみたいだもの。

ただしこの段階で、あまり炒飯だけをガツガツ食べてしまわないようにすることが肝要だ。子どもだったらそんなこと気にせず、とにかく出されたものから順番にいって、なんならチャーハンだけ先に食べおわってしまってもなんとも思わないだろうけれど、僕はこれでもいちおう良識ある大人なので、頭の中で両者の融合をイメージしつつ、あわてず騒がず少しずつ大人の配分を考えながら炒飯を食べはじめる。

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みなさんは、砂場の山崩しという遊びをご存じだろうか。こんもりと砂を盛った山の頂にアイスキャンディの棒のようなものを突き立て、その棒を倒さないようにそっと山の砂を崩して自分の陣地までかき集めてくる。棒を倒してしまった人が負けとなるあの遊びのように、炒飯をひとり山崩しに見立てながら食べていく感じなんですね。

ところが、待てど暮らせど相棒の餃子はなかなか出てこない。もったいぶった往年の大スターみたいに観客を焦らしたがる。あ、観客というのはこの場合僕のことですが。そのうち、少しずつ食べてきた炒飯もだいぶ目減りしてきた。ここらでちょっと食べる配分を再構築しなければならくなる。難しい言葉でいうと、リストラクチャリングです。

これまではなんとなく餃子1に対して炒飯3くらいの感覚でいたのに、いまとなっては、餃子1に炒飯2くらいのバランスじゃなくちゃつり合いがとれなくなりそう。それでも目的は炒飯と餃子をいっしょに食べることだから、ひたすら餃子の登場を待ちつつ、炒飯にも少しずつ口をつけていくという方向性は変えないのだ。だいいち、ぼかぁハラが減ってるのだ。そうそういつまでもなにも食べずにはいられないのだ。

などといいつつも、こんもりときれいな山だったチャーハンも、すでに半分くらいが胃袋のなかへ収まってしまっている。この先、無理やりにでも山にレンゲを入れたら、あっさりと頂上の棒は倒れてしまうだろう。いままで「餃子まだでしょうか?」などと店員さんに聞くのは、いかにもガッツイてるようで差し控えてきたが、たまらず「あのー」と恐る恐る手をあげかけたその刹那!

カウンターの向かいかわの、僕よりあとから入ってきたくせに餃子を注文した、いかにも食いイジが張ってそうなおにいちゃんがすかさず手をあげ、「餃子まだっすか?」などとナマイキな口を叩くのだ。

厨房からやってきた店員さんは恐縮して、「申し訳ございません、ただいま焼き上がりますのでもうしばらくお持ちください」と平身低頭答える。それを聞いて、だったら僕の餃子もすぐ出てくるだろうとなぜか安心して、いよいよチャーハンの残り半分の山を崩しにかかる。

が、それからしばらくしても餃子は出てこず、ついに堪忍袋の緒が切れた、向いのお兄ちゃんが(向かいのおにいちゃんかよ)「あのォ」と再び声を張り上げようとしたそのとき、さきほどの腰の低い店員さんが「はい、餃子お待たせいたしましたー」といかにも申し訳なさそうに、なんだったら待たせたお詫びに餃子半額でもいいですよ、というくらいの低姿勢で(そうはならないけど)、そっと餃子皿を差し出すのだった。

向かいのおにいちゃんに。

いやいやいやいやいやいや、それを見た僕が、「あ、こっちの方が先に注文したのに」と負けじと手をあげようとした、のをさえぎるように、さっきの店員さんとはべつの、いかにも気性の荒そうな、「オレの餃子になんか文句あるのか?」という感じのまなじりをつり上げた店員さんが、「へい、餃子お待ちい!」と、遅れたことなんてほんの1ミリも申し訳なく思ってないふうで、餃子皿を差し出すというかヒョイとカウンターに放り投げるようにして置いたね。

しかも、その勢いで餃子の並びもぐちゃぐちゃにズレたりして。んでもまあ、とにもかくにも、これでようやく炒飯と餃子というメンツはそろったわけで、それにしては炒飯の山はすでに3分の1をとっくにきるくらいしか残ってなくて、僕はこころの中でさめざめと泣きながら残りの炒飯と餃子のペース配分をあらためて組み立て直す必要に迫られるのだ。ということが、実によくあったなあと思い出した。

 

レジスタントスターチの真実

そんなバカ話はともかくとして、ちかごろ脚光をあびつつあるらしいレジスタントスターチというのをご存じだろうか。僕も遅ればせながら最近になってようやくこの言葉を知った。レジスタントつまり消化されない、スターチ=でんぷんで、でんぷんでありながら体内で消化されないためエネルギーになりにくい食物繊維の一種のことだ。

通常のでんぷんは消化酵素で分解されてグルコースになり、血糖値を速やかに上げるが、レジスタントスターチは分解されにくく、血糖値の上昇を抑制する。いまこれを多く含むライ麦パンやバナナ、芋類などの食品が注目されている。それからなんといっても白米に含まれるでんぷんは、冷やすとこのレジスタントスターチが増すといわれているらしいです。おにぎりダイエットなどが囁かれている所以ですね。

この理屈でいくと、コンビニのおにぎりには糖尿病の抑制効果があることになり、同じようにお寿司を食べる分には血糖値の上昇も抑えられる? それらのことが本当ならすぐにでも飛びつきたくなる学説だが、にわかには信じがたい。ただ、そうはいっても糖質制限そのものも、これまでの白米主食主義的生活からすれば、とんでもな生活習慣なわけで、眉唾ものだからと一蹴するだけでは、この先一歩も生活習慣の改善にはならないのもまた事実だ。

非常に悩ましい問題ではあるが、僕としてはいま少し様子を見ようと思う。 

血糖値を上昇させるのは糖質のみであるということ、さらに、同じ量の白米を食べても、メインディッシュのたんぱく質や油脂、そして野菜を一緒に食べたほうが、血糖値の上昇を防ぐことができるといううことです。(中略)つまり単純にいえば、白いご飯で食べるよりも、チャーハンや卵かけご飯のほうが、血糖値を抑制できるのです。(p44)

ではなぜ、今回のエントリで餃子や炒飯の話を書いたのかというと、山田悟先生の『糖質制限の真実』の上記引用部分を引きたかったからというのもある。それにしては長い前ふりでしたが。さきほどのレジスタントスターチの理屈からいうと、冷めたシャリの上に生の魚をのせたお寿司はなおのことただの白米より血糖値の上昇を抑制し、いわば冷めた炒飯が最強のレジスタントスターチということになりませんかねえ。

もし、このレジスタントスターチの理論が真実ならば、冷めた炒飯と2コ程度の餃子を僕は毎日せっせと食べたいものだ。 

糖質制限の真実 日本人を救う革命的食事法ロカボのすべ て (幻冬舎新書)

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