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されど低糖質な日日

~Ⅱ型糖尿病患者のありふれた日常~

近ごろの医者はなぜ聴診器を使わないのか触診をしないのか?

「痛かったら手を上げてください」という歯医者さん

歯医者さんへ行っていつも思うのは、さあいよいよ治療がはじまるぞというときに、「痛かったら手を上げてください」とドラマやコントみたいなことを先生はほんとうにいうのだということだ。だいいち、そういわれても具体的にどの程度痛かったら手を上げればいいのか僕にはわからない。

チクッ、で手を上げていたらちっとも治療が進まないだろうし、かといって我慢できるまで我慢していたらどんどん痛くなりそうな恐怖心もある。痛さの基準が明確に提示されないまま「痛かったら」といわれても困る。一般的な大人ははたしてどのくらいまで我慢すべきなのだろう。

基本、治療中は麻酔が効いているから治療そのものの痛さというのはほとんど感じない。それよりも、歯を削られたり引っこ抜かれたりするときの大工仕事のような物理的な鈍い痛みの感覚が伝わってくることはしょっちゅうある。つまりそれを不快に感じるかどうかだ。そしてなによりあの音で精神的に参ってしまう。

そんなわけで、僕はまだ一度も手を上げて痛いという意思表示をしたためしがない。でもちゃんと体は反応して、無意識に足がぴょこんと跳ね上がりスリッパがずるりと脱げ落ちたりするので、さすがにそれは恥ずかしいですね。痛さの基準は個人によって非常にマチマチだから、痛くても痛いということをきちんと伝えられなかったり、いくら治療する方が定期的に「大丈夫ですか?」「痛いですか?」とたずねてくれても、ときに両者のあいだでいきちがいが生じることもありそう。

あるいはもし手が上がったとしても、「このくらい我慢してくれなきゃ」と歯医者さんは内心思うかもしれない。「もう少しの我慢ですよ」などと口ではいっても、そのまま治療をつづけることだってあるだろう。患者は患者で、「手を上げろというから上げたのに」と不満に感じることになる。歯医者さんのいう「痛かったら手を上げてください」というのは、いっけんやさしくて親切な言葉に聞こえるけれど、案外なげやりで無責任な言葉のような気もする。

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僕らのふだんの会話というか人間関係って、この歯医者さんと患者みたいな感じかなあと思ったりするのだ。「イヤだったらイヤっていって、すぐやめるから」とか「いま大丈夫? 忙しいならそういって」とか「おいしくなかったらおいしくないって正直にいって」「わからなかったらわからないっていってね」というようなことを僕らはたえず口にしている。

このことはいっけん相手のことを思いやって、一方的な押しつけにならないよう配慮しているふうで、でも具体的な基準をなにひとつ示さずそこは相手の度量とか裁量にまかせてしまっているところがある。いわれた方も、忙しいといえば忙しいんだけど……、わかったようなわからないような……、面白くはないけど退屈ってほどでもないしどうせヒマだし……なんてね具合で。相手の様子見なところがけっこうあるのだ。

いやいや、それがいいとか悪いとかいいたいわけではなくて、そうやってお互いがお互いの腹のなかを探り合いながら、ふだん危ういコミュニケーションは成り立っているよね、ということが僕はいいたいのだ。うまくやってることもあれば、とうぜん齟齬が生じることもあるだろうねと。

 

病院の先生はなぜタメ口なのか、なぜ聴診器を使わないのか、触診をしないのか

4年前に糖尿病と宣告され、その合併症からいっときは失明の危機に陥ったことはくり返し書いてきた。それ以来、治療と検診を兼ねて定期的に病院へ通う生活が続いている。こんなこと僕のうん十年の人生ではじめてのことだ。もっともいまのところ経過は良好そうなので安心だが、やはりどうにも病院というところはどのくらい通っても慣れないというか、病院へ行くたびに少なからずストレスに感じることがあって、少しそのことを書いてみます。

端的にいうとそれは、患者としての僕と、病院の先生との関係はとても難しいなあということです。そんなの当たり前だよ、と笑われるかもしれませんが。先生が信頼できないとか、毎回ケンカになるとか、そういう大げさなものではないんだけどね。

以前会計を待っているあいだ、診察を終えたばかりの他所の患者が、看護師を相手に、先生に対する苦情を切々と訴えている場面に遭遇したことがある。こっちが低姿勢になって、向こうを「先生、先生」と呼んで持ち上げたり、こっちが「そうです」とか「わかりました」とかできるだけていねいに受け答えしているのに、なんで向うはタメ口なのか納得できない。「私たちは医師と患者という立場の違いだけで、お互いは人間対人間で対等なはずじゃないですか」とは、怒りに震えながらその人の言い分。

そういえば少し前もどなたかのブログで、これと同じような疑問を見つけた。してみると、こういう疑問も定期的にだれかが言いだしたり、常日頃から多くの人が不満に感じていることなのかもしれませんね。で、これに近いようなことは実は僕もずっと思っていた。でもそれは先生のというより、僕の場合こっち側の問題がたぶんにあった。

たとえば病気になってからの僕は、そのことを先生に責められているような、なにか悪いことでもしたかのような負い目を感じている。あるいは、病気を人質にとられているみたいな。だからどうしても低姿勢にならざるを得ない。医者と患者が人間同士対等だというのは、確かにそのとおりかもしれないし理想的な関係かもしれないが、現実はなかなかそうはならないのだ。

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僕の主治医は、ときどきテレビにも出るような忙しい人で、溌剌として診察もテキパキ処理する非常に有能な人だと思う。その割には腰が低いし、なによりとても親切でやさしい。でも、具体的にどこがというわけではないんだけど、ちょっと診察業務を効率的に済ませたがってるふうな流れ作業的な感じが否めないときがある。先生の興味の対象は病人の僕ではなく、パソコンのモニタに映し出される血液検査の数値だけなんじゃないかって。

僕としては、ほんとうは「寝つきがよすぎるんですが」とか、「たまに立ちくらみが」とか、「ちょっと下痢気味なんですよね」とか、そういう日々の些細な心配事をもっとていねいに聞いてもらいたいのに、気づいたらもう次回の予約の話になってる。血液検査の結果、数値にとくに緊急を要する心配事がない以上、それだけで十分といえば十分なのだし、別に先生ととくに世間話がしたいわけじゃないよ。

ただちょっと薬のことや、減らせるものならどれかひとつでも減らしたいとかね。ジェネリックのこととかね、ついでにちょこっと聞いてみたいじゃないですか。食事の内容についても相談してみたいこともある。でも先生にすれば、次の患者その次の患者と待合室に待たせているからね。それはわかるんだけど、なんか毎回そんなふうに素っ気ない。なんかまるで恋愛の愚痴みたいだ。(笑)

僕は以前もべつのSNSでそんな愚痴程度のことを書いてみたことがあるが、そのとき、言いたいことを紙に書いて持って行ったら? というコメントをお医者さんの卵の方(医学生)からもらったことがあった。で、さっそく次のときやってみようと、紙にいっぱい言いたいこと書いて持って行ったんだけど、いざとなったら肝心のその紙をポケットから取り出す勇気が出なくて作戦は見事に失敗した。

それとこれははじめて書くことだけど、僕の主治医は、聴診器を一度も使わないのだ。もちろん触診もしない。どうしてかはわからないが、その代わり毎回かならず血液検査と尿検査を行っているので、実際はそれほど心配はしてないし、直接的になにか不満があるというわけではないけれど、診察ってそういうものだったかなあという懐疑心はちょっとくらい頭をよぎることはあるよね。

ことに、わりと最近、尿路結石になって近所の開業医の先生に診てもらったとき、聴診器から触診と、久しぶりにいわゆるそういう昔風の診察をしてもらったから。 

roshi02.hatenablog.com 

あと、わけあって健康診断書が必要になり、やはり別の開業医の先生の問診を受けたときも、聴診器を使った診断、触診、それも丁寧にベッドに横になってお腹から背中を触診してもらって、ああ、診察ってかつてはこういうものだったなと懐かしく思いだした。どちらも偶然かもしれませんがかなりお歳を召した先生だった。いまの先生は僕の方を向いて僕を診ている時間よりも、パソコンのモニターを見ている時間の方が圧倒的に多い。

重ねて書くけど、そのことの是非を僕は問うてるつもりはないよ。いいか悪いかななんて僕は専門家じゃないのでなんともいえないですからね。まして医者としてどちらが優秀でどちらが親切なのかとか。現代の医療というのはおおむねそういう傾向なのかもしれないし、それに僕の場合は糖尿病でほかの内科の病気とは異なるのかもしれないしね。なにかをするのには理由があるように、なにかをしない理由というのも当然あるだろうから。

まあ誰もがお医者さんになれるわけではないが、患者には誰しもがなる機会(というか恐れ)があるわけで、そんなとき、ちょっと考えてみてほしいですね。あなたの先生とあなたの関係って、どんな感じなのか。人間同士のコミュニケーションという観点からも、なかなかちょうどいい具合というのは難しいだろうし、もしちっともストレスにならない関係が築けているなら、それは実に羨ましいなあと思います。