されど低糖質な日日

~Ⅱ型糖尿病患者のありふれた日常~

2月になると思い出す話

ハヤシライスとカツ丼の話 

僕の父親と母親が(自分たちがいうには)運命的な出会いをし、交際をはじめたころの話だ。戦後とはいえ、まだいまのようにお金さえ出せばなんでも買えるほど物資が豊かではないころ。それでも父親の実家は商売をやっていた関係で、ほかの家よりはわりとモノが手に入りやすい環境にあったらしい。

そこで母親は、自分の家で必要な食糧などを、ときに父に頼んで融通してもらい、その代金を支払っていたそうだ。ところが、父親はいまでいうところの不良で、遊ぶ金欲しさもあってか、その母の家が支払った品物の代金を、こともあろうにときどきこっそり自分の懐に入れてしまっていたんですね。もちろん、そんなこと母親はずっとあとになるまで知らなかった。

ふたりがいざ結婚するだんになると、父親の実家の姉たちは猛反対した。そりゃそうですよね。結局、僕の両親は駆け落ちまがいのことをしたあげく、最終的には反対されたまま、おなじ市内の父の会社の社宅でいっしょに暮らしはじめたということだ。そのだんになってはじめて、母は品物の代金を父がネコババしていたという衝撃的な事実を知らされたそうだ。

この話を僕は大人になってから、父親が死んだあとに母親から直接聞かされた。そのときは思わずそっくり返りそうになるくらい大笑いした。いかにも父親らしいなあ、と思った。すると母は恨みがましく、「誤解はまだ解けてないのよ」といったのだ。僕は今度こそそっくり返って半分泣いて半分笑った。

この話は、もしジョン・アーヴィングさんが僕を主人公にした小説を書いてくれるとしたら、きっと僕の人生のなかの重要なエピソードとして物語のはじめの方に使うことだろう。両親の結婚に反対した父の姉たちも、甥っ子の僕をいちばん可愛がってくれた伯母さんが先日亡くなったのを最後に、もう誰もいなくなってしまった。

さて、その父親がね、「この世でいちばんの好物はハヤシライスだ」といつもいってたのだけど、僕のなかで父親がハヤシライスを食べているイメージというのが全然ないのだ。むろん、家で母親が作るハヤシライスは食べていたはずだから、一度も見てないってことはないでしょうけど。でもあのひと、外では絶対、まあ92%くらいはカツ丼注文してたなあ。「なんで?」って訊いたら「来るのが早いから」って。では残りの8%はなにかといえば、これがカツカレーなのだ。な~んだ、結局カツじゃないかという。

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謎のスイッチの話

カミさんのお父さんが亡くなったとき、九州の田舎から僕の両親も駆けつけてきた。葬儀場の通夜の席で、僕は喪主代行として親族側のいちばん前に最後まですわっていたから気づかなかったのだが、別室での通夜ぶるまいの場で、うちの父親が半分酔っぱらって、だれかれとなく問われるままに僕のことや田舎での暮らしのことを、面白おかしくしゃべっているのを、これはあとから僕がその席に出向いたときに知った。

大変なショックを受けた。恥ずかしさで一瞬でカーッと顔が熱くなった。すでにカミさんと僕の会社関係の人や町内会の人はみんな帰ったあとで、おおむねカミさんの家の親戚くらいしか残っていなかったが、父親は、いつのまにかその場の中心にいてひとりおだをあげ、始末の悪いことにそれなりの笑いを集めていたのだ。

その夜、当時住んでいたアパートに(僕だけが)両親を連れ帰ってから、「あんな恥ずかしいみっともない真似どうしてやってくれたんだよ」と僕は父親を厳しく叱責した。父親はすっかり悄然として、「賑やかに送り出してやった方がいいと思ってな」と答えるのが精一杯だった。「田舎ではみんなそうするもんだ」とぽつりといった。「田舎じゃないんだよ、ここは。東京なんだよ」と僕はいった、と思う。

あとからカミさんに聞いた話だが、父親はカミさんに、僕からこってり絞られたよと悪びれずに白状し、「気が利かないことをして申し訳なかった」と謝ったらしい。いまでも、あの夜のことを思い出すとせつなさで胸が締めつけられそうになる。その父親ももう死んでしまってこの世にはいない。

父が死んだとき、通夜だけは実家でとりおこなったのだが(葬儀はお寺)、参列してくださった方々が想像以上に多く、みんなに玄関から靴を脱いで祭壇のすぐ前まで上がっていただいたので、外で焼香の順番を待ってもらう行列とその時間がそうとう長くなったらしかった。それはあとから親戚の人に聞いた話で、僕も母親も、当日はついうっかりそのことに思い至らなかった。

うるう年の2月の寒い夜のことだった。棺がギリギリ出し入れできるかどうかというくらいの狭い家の狭い玄関だったから、なおさら迷惑をおかけした。いっそ外から焼香できる場所を別に設けるべきだったなあ、といまでもそれは申し訳なく後悔している。

南木佳士さんの小説だかエッセイに、たしか自宅を改装する際、玄関は棺が出し入れできるだけの大きさにしてくれと工務店の社長に頼んだ、というエピソードが出てきた。『パッチギ!』という映画には、貧しくて小さな家の玄関から空の棺をなかに入れられなくて、しようがなく玄関をハンマーで叩き壊すという、それはつらくせつない場面があった。

話は少し変わるが、ずいぶん前に東京拘置所の死刑場内部が公開されたとき、僕はあれ見て途中で吐きそうになっちゃった。こう見えても緊張すると吐きそうになるタイプの人間なんだよね。で、その前に目に留まったのが、ちょうどロープの真下にある床板が(どういう具合にかわからないけれど)外れる仕掛けになっている、あの「スイッチ」だった。

刑務官の精神的負担を軽減するため、スイッチは、3つ、並んで、あった。合図で3人が同時に押すから、そのどれが直接作動したのかわからないようになっているそうだ。そんな子どもだましのことでいいのかと思うが、それでもそうやらないよりは少しはマシなのだろう。あれを見て僕は、真っ先に似たようなスイッチを押したことがあるなあ、と思い出した。

それは、火葬場のスイッチだった。父親が死んでその火葬のとき、たったいま父親の棺が納められたばかりの無機質な壁面をみんなして見詰めていたら、なんの事前説明もなく、「では喪主の方、一歩前へお願いします」と係りの人にいわれた。喪主は僕だ。挨拶をするのかと思い、いわれるままに前へ出た。

壁面の、棺が納まった小さくくり貫かれたドアの、やや斜め上にあるスイッチのところまで僕は誘導された。いまこれをタイピングしている指があのときの記憶を思い出して小刻みに震えてくる。それこそ無機質な、なんの変哲もないスイッチだったなあ。けっしてテレビの映像で見た刑場のスイッチとおなじ形状(ダジャレじゃないよ)というわけではなかったけどね。

スイッチはひとつきり。それを僕が押すことで、棺に点火される仕組みになっていた(らしい)。まるでオリンピックの最後の聖火ランナーみたいだ。くりかえすがスイッチはひとつ。3人のうちのだれかの意思や力が偶然左右されるかわからないという仕掛けではない。

「それでは、故人との最後のお別れです」という合図に促され、僕はスイッチを押した。長い長い永遠かと感じられるくらいの逡巡のあとの、ほんの一瞬のできごとだった。田舎の火葬場のあれは遺族サービスだったのか、あるいはただ残酷な仕打ちだったのだろうかと、いまだに僕は考えることがある。

それにそもそも、あのスイッチはほんとうに点火スイッチだったのだろうか、とも。真実はあの壁のずっと向こうの裏側で、係りの人が機械的に点火スイッチを、僕とはなんら関係ないタイミングでもうとっくの前に押していたのではなかったのかと。

まもなく父の命日が近づいて、ネコババの話とハヤシライスとカツ丼の話、火葬場のスイッチの話を、今年もまた思い出している。

 

007とバーミヤンのしゃぶしゃぶ食べ放題

人には命日があれば誕生日もある。先日はカミさんの誕生日で、僕と子どもたちからのプレゼントは、カミさん本人の希望を聞いて、昼間は日比谷シャンテでまもなく終了間際の『007スペクター』を僕とカミさんとで見て(これはめちゃくちゃ面白かった!)、夜は食べ放題のしゃぶしゃぶ、それから誕生日ケーキにした。

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しゃぶしゃぶは、バーミヤンの火鍋しゃぶしゃぶ食べ放題。糖質制限的にもおすすめの料理(というか鍋)ですね。牛・豚・鶏ひたすら肉ですから。あとは野菜。餃子や肉団子もついてくるのだが、それは食べても食べなくてもいいし、〆のごはんや中華麺もたべなくてもいい。それで100分間の食べ放題コース。一人前大人1699円(税抜き)。スープは4種類のなかから2種類選べる。うちは白湯スープ(写真左半分)と坦々スープ(写真右半分)を。家族全員、お腹が苦しくなるくらい食べました。

カミさんの誕生日とはいっても、結局は僕に気を遣ってくれて、そんなに高くなくてお腹いっぱいになり、なおかつ糖質制限ができる外食にしてくれたわけだ。ありがたい。家に帰ってからの誕生日ケーキは、もちろん僕はほんのカタチばかり口をつけるだけでしたが。 

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