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されど低糖質な日日

~Ⅱ型糖尿病患者のありふれた日常~

糖尿病の母親に僕ができるアドバイスはあるだろうか?

田舎に一人で住む母親から電話があった。月曜日からしばらく入院することになったから、という。聞くと、僕と同じやはり糖尿病を抱える母親は、いま現在血糖値が400もあり、主治医の先生からこのまま放っておくと命の保障ができないよ、とたしなめられたそうだ。その先生の指導のもと、カロリー制限の食事療法をかれこれ20年ちかく続けている。

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母親はもう80歳を超えている。糖尿病と診断され、カロリー制限をはじめた当初は、もともと料理好きでもあったので、自分でいろいろ工夫した食事を作っては処方された量のインスリン注射を毎食事ごと打って血糖値をコントロールしていた。ところが、だんだん歳を重ね、体もめっきり衰えたいま、台所に立つことさえ億劫になり、自分ひとりで食べる食事にも張り合いがなく、ごはんも食べたり食べなかったりという状態になった。

それでもインスリンだけは基本的にきっちり同じ量を打っているという。一度、低血糖に陥り救急車で運ばれたこともあるらしいのだが、それはさもありなんと納得はできても、決して看過できるような問題ではない。そして本人が言うには、あたまもボケてきて、どういうものがカロリーが低いのか、自分は何を食べていいのか何を食べてはいけないのかの判断も覚束なくなってしまっているのだとか。

なんかそういう話を総合的に聞いていると、毎食事ごとにほとんど忘れることなく打っているというインスリン注射の量も、けっこう怪しいものに思えてくる。おそらく、母親のカロリー計算はもはやそうとう適当で、というかそもそもカロリー計算の体を為さないものになっており、そこにもってこれもあやふやな打ったり打たなかったり量も不確かなインスリン注射が重なって、いまの非常に危険な、野放し状態の血糖コントロールになっているのだろうと想像される。

先生が母親をあえて入院させようとしたのも、まずは上がったままの血糖を抑え、もう一度食事からインスリンの量から見直す必要があると感じたからではないか。それになにより、本人の気力というか、糖尿病を正しくコントロールしようという気力をもう一度植え付ける必要性があったからなのだ。 

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同じ糖尿病でも僕は、カロリーではなく糖質を制限をして病気と向き合っている。たとえば母親はピザやスパゲティが大好きで、電話の折にも、「ちなみにきょうは一日何食べたの?」と尋ねると、朝は小指程度のサツマイモと牛乳、昼は小麦胚芽のビスケットとサイダー、夜はゆうべの余ったごはん7分目と少量のミートソースのスパゲティだったと答えるのだ。電話口で僕は思わずため息を漏らしてしまう。

買い物だけは、役所から派遣されるヘルパーさんが、頼んだものを買ってきてくれるのだという。ビスケットもサイダーもそうやって母親自身が頼んだものに違いない。それも本人は、健康に良かれと胚芽のビスケットを食べ、牛乳を日にコップ何杯も飲む。食欲がないのでせめてお芋でも食べようとがんばる。もったいないからと余ったごはんを翌日食べる。糖質制限の僕からすれば、どれも非常に危険なザ・糖質というものばかりを意図的に選んで食べているとしか思えない食生活だ。

でも、田舎と東京でこうやって離れ離れに暮らし、買い物はおろか料理をすることさえままならなくなった母親に、僕がいったいなにを言ってあげられるだろう。物覚えも悪くなって考えることも億劫だと嘆く母親に、いったい僕がどんなアドバイスをしてあげられるだろう。先生のいいつけどおりインスリン注射を自分ではきちんと守っていると疑わない母親に、糖質は控えるようにと僕が勝手な判断で果たして忠告できるだろうか。

何が糖質が嵩く何が低い食べものなのか、それ以前に糖質とは何か、どんなふうに血糖値を上げるのかを覚えさせることが、いまの母親にとって意味あることだろうか。ごはんもパンもビスケットも食べずに、じゃあいったい何食べたらいいのよ、ときっと泣きつくだろう。健康のためにと温野菜にドレッシングやカロリーハーフのマヨネーズをかけ、卵はコレステロールが高くなると信じて、三日に1個くらいしか口にしない母親なのだ。

まして、糖質制限という考え方そのものに理解を示さない先生だって、まだまだたくさんいる。せめていつもそばにいて、僕の食べるものを同じように食べさせることができれば、少なくとも血糖値を上げないようにすることはできる。あとはインスリンの量をどういうふうに折り合いをつけるかなのになあ、と忸怩たる思いがこみ上げてくる。

牛乳はやめてできたら豆乳、それも無調整の豆乳に替えたら、と僕は電話口で言うのが精いっぱいだった。入院したら、朝昼晩、病院で出される食事の材料と量をよく覚えて、退院したときになるべくそれと近いごはんの量、おかずの種類を考えて、ヘルパーさんに買い物を頼んだり料理をするように、と僕はエラソーにそして無責任に言って電話を切った。

「まだまだ生きたいでしょ?」なんて、あとから思うとなんと冷酷なことを僕はいったのだろう。つくづく情けない人間だ。「大きくなった孫(うちの子どもたち)にも逢いたい。私はひとりぼっちで暮らしているから」と、最後は涙声になる母親に、「だからあのとき(父が死んだとき)こっち(東京)に出てきて一緒に暮らすか?」って聞いたじゃないか、などと薄情なことしか言えない人間なのだ、僕はね。