ヒロシコ

 されど低糖質な日日

僕について、このブログについて(4年間で変わったこと、変わらないこと)

このブログは、はてなブログで書いています。このたびはてなブログが4周年を迎えたそうです。おめでとうございます。というわけで、はてなブログ4周年!ありがとうキャンペーンの「4年間で変わったこと、変わらないこと」というテーマでなにか書いてみます。

4年間で変わったこと、変わらないこと

まず、変わらないことは、生活の大部分は基本あまり変わっていない。なにより家族構成が4年前と少しも変わってないことがいちばん大きい。そのなかで僕もカミさんも4年ぶん歳をとり、子どもたちもそれぞれ4年ぶん成長した。

これから書く、4年間で変わったことがたとえあったにせよ、家族という生活の根幹がなにも変わらなかったことが、いまの僕を支え、そして4年前の僕の力強い助けになったのは言うまでもない。それには心から感謝したい。

 

4年前に僕は糖尿病を告げられた

糖尿病というと、いつも思うのは少し間の抜けた病名への残念感ですね。実態はとても恐ろしい病気なのに、一般的に糖尿病と言っても、「おしっこに砂糖が混じってる病気?」とか、「甘いものを食べ過ぎたのね」とか、「太ってる人がなりやすい病気」くらいの認知度しかないのかもしれない。

でもね、くり返し書くけど、糖尿病はとっても恐ろしい病気です。実は僕も4年前までは同じような認識だった。田舎に離れて暮らす母親が糖尿病で、一日三食前に欠かさずインスリン注射を打っていたにもかかわらずだ。けれど4年前、そしてこの4年間に、僕の認識は180度変わった。

そのあたりのことは、このブログを始めて間もないころに書いた以下のエントリーに詳しいので、もしよかったらそっちを順番に読んでもらうとありがたいのですが、大急ぎで病気の経緯だけ簡単にまとめてみる。 

roshi02.hatenablog.com 

このままでは失明すると言われた 

ことの発端は運転免許証の更新だった。ご存知のように更新には視力検査があり、ふだんからメガネをかけている僕は、そのころ視力がだいぶ落ちたことが気になって、いっそ新しいメガネを作ろうと町のメガネ屋さんへ出向いたのだ。

メガネのフレームなどを選び、レンズを作る段になって、メガネ屋の店員さんに、隣の眼科で処方箋をもらってくるよう指示された。そこで驚いたことに、僕の視力はどんなレンズを選んでも、もはやいま以上の視力が出ることはないと告げられたのだ。

なぜなら、それは網膜症だから。それも放っておくとますます悪化して、近いうちに失明するかもしれませんよとまで言われてしまった。網膜症の要因は糖尿病であること。その合併症である、糖尿病性網膜症であることがわかった。

失意のどん底で糖尿病内科を、網膜症眼科を受診する

それはショックでしたね。正直に白状すると、糖尿病であることは薄々感じてはいたけれど、このままでは失明するほど僕の糖尿病は悪化していたのかというのが心底ショックで、かつ震えるくらい恐ろしかった。

でもまあ、怖いとばかり言っててもしょうがないので、眼科の先生に書いてもらった紹介状を携え、まずは予約が先にとれた糖尿病クリニックを受診した。結果的にそこでこのブログのテーマである「糖質制限」と出会うことになったわけだけだから、4年前に変わったこと、この4年間に変わったことと言えば、糖尿病になった事実よりも、糖質制限と出会ったことと言いたい。

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それまでの食生活ががらりと転換した

先生や管理栄養士さんの指導のもと、それまでの不規則な生活習慣による暴飲暴食をピタリと止め、そうとう厳しめの糖質制限に取り組むことにした。当面は三食のなかから白いごはんという主食をいっさい抜き、口に入る食品のすべての成分を、ことに炭水化物(糖質)の量をチェックするよう心がけた。

そんなに厳格にする必要もなかったのだろうが、なにしろ僕は網膜症という爆弾を抱えていて、それがいつ破裂するかわからない恐怖と戦っていたからね。

 

怖さの反面、楽しみも見つけた4年間

インスリン注射を微量だが一日一回、朝食前に打つことになった。何種類もの薬も服用する。そんな恐怖に追い立てられる生活があった一方で、生まれてはじめて自分でパンを焼くことを覚えたのも、4年前からさほど時間が経たない頃のことだ。いちばん安いホームベーカリーを買ってきて、糖質制限では食べてはいけないとされる小麦を使わず、大豆粉でパンを焼いた。

小麦粉では簡単に膨らむ生地が、グルテンという成分が含まれてない大豆粉は、そのままでは少しも膨らまないということなど、まさに一からパンつくりを学んだ。おかずにしても、本来は小麦粉でつくる餃子の皮ひとつ、他のもので代用できないかと調べ考える毎日になった。

糖質制限をはじめてわりあいすぐに、どうしても甘いものが食べたくなり、そっちもはじめて自分でチーズケーキやパウンドケーキやガトーショコラを焼くようになった。アイスクリームをつくり、クッキーをつくり、プリンをつくるようになった。

 

糖尿病はどんなにがんばっても完治しない

残念ながら糖尿病は一度なってしまうと完治しない病気なのです。あとは病気を上手にコントロールして仲良く暮らしていくよりほかない。ついでに、網膜症も完治しない。こっちもいま以上症状がわるくならないよう、定期的に検査して治療していくほかない。

おかげさまでいまのところ、そのコントロールはとても上手くいってる。つい最近インスリン注射もやめることができた。失明するかもしれないと言われた目も、正確にはあれから紆余曲折あったものの、いまのところなんとかもちこたえている。

結局、発端となった自動車の免許証は視力の回復が間に合わず、4年前失効となった。いまも失ったままだ。それでもこの4年間、ここには書かなかったことで他にも失ったものもいろいろあったけれど、またあらたに得た楽しみや、それまでの人生では絶対得られなかったあたらしい「生きる視座」のようなものを、僕は同時に手入れたのです。