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ジョディ・フォスター『君がいた夏』感想~夏の終わりに見るべき映画とミスチルの1thシングル

ただいま公開中のdocomoのCМご覧になりましたか?

「Mr.Children&docomo 25周年ムービー」と銘打たれたそのCМは25年前の夏の渋谷のスクランブル交差点から始まる。主演の高橋一生さんと黒木華さんの出会いと別れ再会そして結婚・出産・子育て・単身赴任をとおして現在(いま)に至るまでの人生模様がMr.Children(ミスチル)の数々の名曲に乗せて綴られている。CM自体も感動的で素晴らしい出来映えなのだが25年前の夏の出会いの場面に使われているのがミスチルのデビューシングル『君がいた夏』という楽曲でこの歌を聴いてたちまち僕は同名のアメリカ映画『君がいた夏』を思い出しキュンとなった。ちょっぴりせつなくちょっぴりノスタルジックなありふれた青春映画。若き日のジョディ・フォスターさんが主人公のいとこ役で出ているという以外これといって特筆すべき点が見当たらないいかにもB級っぽい映画なんだけどね。でもこれとっても愛すべき映画なんですよ。

25周年ムービー「いつか、あたりまえになることを。」

 

原題は"STEALING HOME"つまりホームスチールのこと

映画『君がいた夏』はうらぶれたプロ野球選手ビリーがいとこのケイティ(ジョディ・フォスター)の死をきっかけに再び野球選手としてひとりの人間として立ち直りはじめるという物語だ。よくある話といえばよくある話。ある日ビリーのもとにケイティが自殺したという知らせが届く。ケイティはビリーより6才年上でビリーにとっては幼いころの子守り役でありときには母親代わりでもありなんでも打ち明けられる親友であってビリーの初恋の人。彼女は自分の遺灰を両親ではなくビリーに託すという遺言を残してこの世を去った。ビリーはケイティの最期の願いに引き寄せられるように久しぶりに故郷へ戻ってくる。託された遺灰をどうすればいちばんいいのか悩むビリーとかつてケイティと過ごした夏の日のおもいで(回想)がしばしば交錯する。この映画の日本公開は1989年(製作は1988年)。同年には『ダイ・ハード:』や『ニュー・シネマ・パラダイス』『バグダッド・カフェ』などがそしてなによりジョディ・フォスターさんの代表作のひとつでもある『告発の行方』が公開されている。すでに回想形式の映画とてけっして目新しいものではなくまして主人公の少年のひと夏の体験ものとしては『おもいでの夏』(1971年)が映画史に燦然と輝いている。現に『おもいでの夏』のどう考えてもパロディだとしか思えないコメディチックな場面も『君がいた夏』にはあるくらいだし。あるいは同じ野球を題材とした映画としてもわざわざ『打撃王』という古い映画を持ち出すまでもなく『がんばれベアーズ』や同年には『メジャーリーグ』が翌年には『フィールド・オブ・ドリーム』が公開されている。そういいうあまたの名作・傑作たちと比較したらずいぶん見劣りしてしまうのはこれはもういたしかたないことなのかもしれない。だけど先にも書いたように僕はこの映画『君がいた夏』とってもとってもとっても大好きなのだ。理由は正直いってよくわかりません。夏の終わりに青春の終わりを重ね合わせたセンチメンタルなところに惹かれなかったといえばうそになるけどどうもそればかりでもないようなね。まああえていえばやっぱり助演のジョディ・フォスターさんがきれいで聡明で奔放で少し不良っぽくてでもやさしくて(ここ肝心!なんだけども)年上の実に魅力的な女性を演じているということくらいだろうか。というかそれだけでもう十分という気もしますが。ケイティがビリー少年を従え両手を飛行機か鳥の翼のように大きく広げ長い桟橋を海に向かってジグザグに駆けてゆくその彼女のうしろ姿がすごく素敵で素晴らしく強烈に印象に残る。そして

よく想像するの
この桟橋から飛んで 空を飛んでみたい
風に吹かれて 雲のじゅうたんを漂うの
夜は満月が輝き 海が荒波を立てる
恋人とがけに立ち 海に飛び込んで沖をめざして泳ぐの
深く潜って暗い海底に触れ 陸に戻ってピニャコラーダを飲むのよ
私の夢よ

と語るときのジョディ・フォスターさんは神々しいまでに美しいと僕は思う。あとは最期の別れの場面 I love you Billy Boy と別れを告げるジョディ・フォスターさんの笑顔とか。せっかくだから好きなシークエンスをあとひとつくらい書いとこうか。10歳のころのビリー少年が浜辺でケイティの生脚に見とれて思わず触ってしまうシーンでケイティはその手をやんわりとはねのけるが高校生になったビリーがおなじ状況でおなじことをすると今度はケイティはそっとその手に自分の手を重ねるというのもあった。そういえば後述するがホームスチールのシーンも映画のはじめと終わりにくり返される。おなじシークエンスが時を経ておなじ状況でくり返し描かれてでもその意味することは微妙に違っているという。それ自体新しいというほどではないがいろいろと工夫しているのはよくわかる。ボール型のペンダントをめぐるやりとりや冷たい水に飛び込む馬の絵の壁面ポスターやペプシなどの小道具の使い方もわかるわかるという感じで微笑ましい。フォー・シーズンズの『シェリー』をはじめとするオールディーズやデヴィッド・フォスターの音楽も全般的に手堅くてよかった。 原題の『STEALING HOME』とはホームスチールのこと。これは文字どおりそういうシーンがあるからでこれは主人公のビリーがホームつまり故郷に帰ってくるという意味とかけている。さらには原点回帰してあの若かったころの何物をも恐れない自由な精神に立ち返るという意味も込めているのだろうことも想像に難くない。ホームに帰るということでいえばホームスチールではなくホームランでもいいはずなのにというかむしろそっちの方がより自然なのになぜあえてホームスチールとしたのか。僕はこう思うのだ。三塁打までは持って生まれた才能でなんとでもなるけれど最後のワンベース最後の一歩は自分自身の努力や意志や決断力・判断力が必要なんだよとそういうアレなんじゃないのかなあと。まあこうやってあらすじや感想を書いていけばいくほどとくべつどうってことない映画にしか思えなくなるんだけどもね。それでも夏の終わりには絶対見るべき映画というか夏の終わりに思い出してくりかえしくりかえし見たくなる映画というか実際見ている映画なのだ。1時間38分と短いので噂の1.5倍速とかで見たらあっという間に再生終わってしまうかもね。(笑) 

 

ミスチルのデビューシングル『君がいた夏』は同名の映画からとられているって本当?

ミスチルの歌の題名は映画『君がいた夏』からとられていることはアルバム『Mr.Children 1992-1995』のライナーノーツに書かれているそうだ。(確かめたわけではない)が歌詞の内容は直接的には映画とは関係ないだろうなと思う。好きな人に会える夏がくるのが待ちきれないこと。夏の終わりがふたりの別れのときだということ。そういう設定だけを借りている感じ。もちろん歌のなかで「キリンぐらい首を長くしてずっと待っていた君」が年上でいとこで初恋の人でジョディ・フォスターさん似の女性(あるいはまさかの本人)であっても全然かまわないわけですが。僕は映画もミスチルのこの歌もどちらもすごくすごく好きだから単純に同じ題名でうれしいなあという「お前は小学2年生か!」 的な話でした。 

君がいた夏 [DVD]

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Mr.Children 1992-1995

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