されど低糖質な日日

~Ⅱ型糖尿病患者のありふれた日常~

『ゴッホ~最期の手紙』と『運慶展』

夜には雨が降るでしょうと天気予報はいっていた。久しぶりの休日で午前中はゆっくり寝て過ごし昼前に折りたたみ傘を携帯して家を出た。向かう先は上野。陽は差していないけれど風がないぶん思ったほど寒くは感じなかった。上野での目的はふたつ。ひとつはできたばかりのTOHOシネマズ上野で映画『ゴッホ~最期の手紙』を見ること。この映画は都内でもここと同じくTOHO系列の六本木ヒルズ他数館でしか見ることができない。では六本木ではなくなぜ上野を選んだのかは実はもうひとつの目的とも合致する。それは東京都美術館で開催中の『ゴッホ展 巡りゆく日本の夢』を見たかったから。つまり今日という日はゴッホの日と決めて家を出たのだ。下調べもせずまずは上野駅でJRを降りTOHOシネマズ上野の建物を探した。だがめぼしいところにそれらしきは見当たらない。なんの考えもなしに駅を出たらすぐわかるだろうくらいの安易な気持ちで来たことをさっそく反省。やおらスマホを取り出し所在地を検索する。なんとTOIHOシネマス上野は上野ではなく最寄り駅は御徒町駅。グーグル地図を見るまでもなく御徒町駅から徒歩3分の立地だった。御徒町なのにTOHOシネマズ上野とはこれいかに。とはいっても上野駅と御徒町駅はすぐ隣り同士で歩いてもそれほど長い時間歩くわけではないんですけどね。劇場フロアはパルコyaのビルの7Fより上階にあった。さっそくエレベーターで7Fまで上がりチケットを購入。時間的にいちばん早かったのが午後2時過ぎからの吹き替え版だった。迷わずそれに。チケット購入後はお昼ごはんを食べるため6Fのレストランフロアに降りる。どの店も行列ができていたが比較的空いていた店で「とろとろ煮込んだ牛スジの黒カレープレート」を注文。プレートにはカレーの他小さめのメンチカツとサラダがつく。これに黒ウーロン茶とコーンスープがついて1000円しなかった。おいしい。

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食後せかされるように再び7Fへと上り劇場ロビーでトイレなど済ませ開場を待ってから上映スクリーンへ入る。やはりできたばかりのまだきれいな施設はいろいろな意味で気持ちがいい。シートも通路もちょうどいい誂えで。都内の上映館が限られていることもあって平日の昼間だというのに客席はほぼ満席状態だった。


映画『ゴッホ ~最期の手紙~』日本版予告編

『ゴッホ~最期の手紙』はフィンセント・ファン・ゴッホの衝撃的な死の謎について迫るサスペンスタッチのストーリーだ。ファン・ゴッホは自殺したと巷間伝えられているがその死には依然多くの謎が残っているという。一時期過ごした療養所から出たゴッホは精神も肉体もとても健やかだったとか。拳銃自殺にしては身体に入った弾痕の角度が不自然だとか。致命傷を負ったのに宿まで歩いて帰ってくるのは不可能だとか。そういった理由からファン・ゴッホの死について諸説あるうちこの映画が採用したゴッホの死の真相は……あ……ネタバレになるのでそれは書かないでおきますね。ゴッホの友人でもあった郵便配達人の父ジョゼフから手紙を託された青年アルマン・ルーランが手紙をゴッホの弟テオに届けるためパリを訪れるところからこの映画ははじまる。それは1年前オーヴェールで自殺したゴッホが弟テオ宛に書いたまま出し忘れた最期の手紙だった。パリに着いたアルマンは画商のタンギーじいさんからテオがゴッホの後を追うように既に亡くなった事実を聞かされる。やむを得ずアルマンは手紙を託すべき人物を探すためオーヴェールへと向かう。そこでゴッホゆかりの人々に出会う。彼らのどこまでが本当か嘘なのか判然としない話を聞くうちアルマン青年は期せずしてゴッホの死の真相を知ることになるのだった。とまあでも映画の内容的にはとくべつ劇的でも目新しくもなく淡々としたドキュメンタリー映画を見るようだった。土曜夜にテレビでやってる「美の巨人たち」を見るような感じだったというのが僕の率直な感想。それよりも驚くのはあのゴッホの油絵が目の前で動くというのがね。それだけでもう大満足というかゴッホの名画が描かれた場所や名画の人物をたどるその過程が楽しくって思わず時間を忘れるほどだった。タンギーじいさんはじめ医師ガシェやその娘《星月夜》や《オーヴェールの教会》《夜のカフェテラス》《カラスのいる麦畑》などの名画そのものの光景がスクリーンに投影されあまつさえ名画のなかで同じく名画のモデルとなった人物たちが背景の絵とともに動いて喋るのだからねえ。これが面白くないはずがない。映画製作にかかわった人たちの努力と根気にはただただ頭がさがる思いだ。

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映画を見終わって今度はすぐさま急ぎ足で上野公園へと向かう。時間はすでに4時30分を回っていた。ゴッホ展が開催されている都美術館の閉館時間は5時30分なのでその30分前にはチケットを購入して中に入らなければならない。そうこうするうち着いたのが5時わずか5分前。さいわい窓口はまだ開いていたのでそこですぐチケットを買えばよかったのだが絵を見て回れるのがたった30分しかないのかと思うとつい窓口の前で逡巡してしまった。次来れるかどうかもわからないから今日見てしまおうか。映画のあとだからまだ興奮冷めやらぬうちに展覧会も見てしまいたい。という気持ちといやでもどうせ見るならもっとゆっくり絵は見て回りたい。という気持ちが短い時間のなかでめまぐるしく交錯する。いったん諦めて美術館を出てすぐのエスカレーに乗ったのに上まで上がってすぐ降りてまた戻って来たりしてね。そうして再び窓口の前に立ったときには時すでに遅し。光陰矢の如し。後悔先に立たず。チケット売り場の窓口は固く閉ざされていた。残念とか悔しいとか諦めきれない気持ちとそんなことはないかえってむしろこれでよかったんだという慰めの気持ちとで振り子は激しく揺れ動くのだった。ぼんやりとしたままなんとなく東京国立博物館の方へと歩を進めたのはあるいは最初から『運慶展』のことが頭のなかにあったからなのかもしれない。いま思えばね。そういえばずっと見たい見たいと思っていた『運慶展』も会期末まで余すところ数日しかないはずだと。祝祭日の前日とはいえ平日はトーハクも都美術館と同じく5時30分閉館だろうなあとなかば諦めの境地で向かった。だが前まで来るとこっちの窓口はまだ開いている。よかったあと腰から下がヘナヘナになりながらも迷わずチケットを購入。運がよかったことに(運慶展だけに)今日から夜9時までとくべつに開館時間を延長しているのだという。どなたの計らいか存じませんが非常にありがたい。ありがとうございました。

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『運慶展』には鎌倉時代の天才仏師・運慶の傑作で残された30数点のうちの22点が今回の展覧会のために集結したという。デビュー作の《大日如来像》はじめ興福寺の《無著・世親両菩薩立像》や《四天王立像》が360度ぐるりと回って見られる展示には正直興奮を隠しきれなかった。なんかまるで子どものようにはしゃいで会場内を動き回ってしまった。とはいえ実際にはものすごい混雑ぶりで人ごみを掻き分け掻き分けではあったが。きっと周りの客にはいい迷惑だったかもしれない。ガラスケース越しではない生の仏像たちのド迫力は想像をはるかに凌ぐダイナミックな存在感だった。《四天王立像》なんて素直にかっこいいーと惚れ惚れしたもの。すぐそばで見ると実に立派で堂々として大きさも想像を優に超えるそうとうな大きさだ。いまにも動き出すんじゃないかというリアリティがあった。畏怖すら感じた。これが全部木造かあと考えたらほんとにすごい。一方《無著・世親両菩薩立像》の慈悲深い表情には時間を忘れるくらいその前に佇んでいられると思った。《毘沙門天立像》の腰を左にグイっと捻った立ち居姿にうっとりため息が出るほど。まだあどけなさと逞しさが同居した《八大童子立像》はこの展覧会の予想外の収穫だったかなあ。運慶といえば漱石の『夢十夜』第六夜に出てくる話が僕は大好きでことあるごとに読み返している。運慶が護国寺の山門で仁王を刻んでいる場面に出くわした私が「よくああ無造作に鑿を使って、思うような眉や鼻ができるものだな」と感心して独り言をいうとそばにいた若い男が「なに、あれは眉や鼻を鑿で作るんじゃない。あの通りの眉や鼻が木の中に埋うまっているのを、鑿と槌の力で掘り出すまでだ。まるで土の中から石を掘り出すようなものだからけっして間違うはずはない」と云ったという話だ。これは恩田陸さんの『蜜蜂と遠雷』という小説のなかにも天才ピアニストを表現するくだりに出てくる。展覧会は運慶だけでなく運慶の父・康慶や弟子の湛慶などいわゆる慶派と呼ばれる仏師たちの作品も併せて展示されていた。笑ったのが湛慶に至っては仏像ばかり彫りすぎて飽きちゃったのかどうかしまいには鹿や子犬まで彫っていてそれがまた見事なできばえだった。リアルというか可愛らしさというか。あるいは展覧会の裏のいちばん人気は湛慶作の子犬だったかもしれないと思いました。こうして今日はゴッホの絵の方は見られなかったが思わず『運慶展』が見られてほんとうによかった。素晴らしく充実した一日になった。帰り道。天気予報どおり雨が落ちてきた。折りたたみ傘を持っていたが傘は開かず最寄駅から家まで雨に降られて帰ってきた。 

夢十夜

夢十夜

 

  

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